『地図とデータで見る 宗教の世界ハンドブック』
フランク・テタール
蔵持不三也訳
シリル・シュス地図製作
\3500+
2024.12.
巻末のデータを入れても、200頁に満たない。A5サイズとはいえ、そして厚手の紙にカラー印刷されているとはいえ、少々値が張る。だが、図版の丁寧さや分かりやすさを思うと、これで十分という気もしてくる。
正にそれは「地図とデータ」である。
そしてタイトルには「宗教と世界」という文字が掲げられている。この言葉も、看板倒れではない。実に本書は、宗教を軸として、世界を理解するための必需品だと言えると思うのである。
原著も2023年というから、その1年後に邦訳が出たということは、かなりホットなタイミングであると言えよう。この手のものは、えてして「信仰」とは何かというような点を軸に展開し、何をどう信じているのかの違いを見せようとするものだが、本書は違う。
これは極めて政治的な理解のための本である。政治とは言っても、為政者の紹介や何とか主義を表に出すようなタイプのものではない。あくまでベースは宗教である。
そう言えば、政治と宗教と言えば、政治の移り変わりに敏感な評論家たちが、宗教については沈黙し、もし触れなければならないにしても、陰謀論でも囁くか、極めて画一的な宗教理解からさも説明し尽くせるような態度で突っ込まれないように言及するに留まる、日本にありがちなコメンテーターの姿を呈するのを、よくテレビで拝見する。これが欧米であれば、宗教を表に論ずることは避けたいにしても、もし論ずることがあるとすれば、腰を据えた理解と配慮を伴って語るものだろう。本書も、いわばその路線で、政治の背後に間違いなく存在する宗教団体や宗教思想というものを踏まえて、表向きの経済理論だけで説明できない現実を動かす精神的原理について、その事実を押さえておこう、という性質のものであるように見受けられる。
そのためには、まず世界情勢に影響を与える宗教について、読者と共通な理解をしておかなければならないから、それぞれの宗教について、概説を始める。そこには妙な感情や思い入れなどは入れない。事実としての、宗教の姿を淡々と伝える。それはまるで経済的資料を並べるかのようでもある。そして、それでよいと思う。意味づけをするのではなく、いま世界にある実態としての宗教の姿である。
古代の多神教から一神教というレベルから確かなものにし、イスラームの歴史も、概観とはいえ、かなり詳しいところにまで触れておく。現在のイスラーム諸国の背景にある事情というものを、これから読者が詳しく考えるための材料を提示しておくのだ。また、本書でも後半でいよいよ政治について論ずる場面で、このときの説明が資料として活きてくるようにできているのだと思う。
それから「世界」へと目を移す。いったい世界的に、宗教はどのように分布しているのか。各宗教の説明ではなく、世界という場における宗教の実情を知らせるのである。すると、そこにはたんに何々教というレベルでは把握できないグループや支配層が現れてくる。たとえば「無神論」もその意味では大きなグループであるし、「セクト」と呼ばれる存在や、「分離派」として、正統派からは「異端」と呼ばれるグループも、意味をもつものとなってくる。
そして後半は、政治という舞台を見据えつつ、宗教の影響や力を指摘してゆくことになる。十字軍から、ヨーロッパの宗教戦争、さらにイスラーム内部の争いも重要だ。インドの宗教も、人口からしても大きな力であろう。ここでキリスト教と一括りにしないで、ヴァチカンという存在が大きな意義をもって登場する。決してプロテスタントをそこに含みはしないが、政治的にも非常に大きな影響を与える組織であり、しかも表向きには教皇という一人の声が、世界を幾らでも動かすことができるような構造になっている。
こうなると、そもそも国家と宗教の関係はどうあるべきか、ということにも言及しなくてはならない。当然「政教分離」だろう、などと言うことはできない。それは世界的に見ればごく一部の酔狂な原則に過ぎない。「自由」という、日本人が錯覚するであろう、この世での最高原理のようなものも、決して神の言葉のような存在ではないのだ。
戦争という悲惨な事態を、しばしば宗教が惹き起こす、というような言い方がなされる。日本人の知識人が、宗教についてよく知らないときに、必ずと言っていいほど出てくる筋書きである。だが、そんなガラパゴス(などという呼び方は当事国に失礼であるが)的な発想では、世界と対話すらできないだろう。島国根性丸出しだからである。
本書はフランスで書かれている。フランスという基盤があるため、ひとつの特殊な視点である、ということになるかもしれないとは思う。だが、フランスは宗教を背景にした歴史を続けておきながら、フランス革命という、宗教を棄てた経験をしていることから、宗教的な基盤を持ちながらも、宗教からは確実に離れた視点をもつようになっている。そこからこうした宗教と世界を問う本が書かれた、というところに、一つの大きな意味があるものだと考えたい。これがアメリカ発だと、宗教と世界とを、ここまで公平には見られなかったに違いないのだ。まして日本からだと、そもそも宗教を論ずることすら不可能であっただろう。フランスという事情を踏まえた上で、本書の指摘に対するリスペクトがもてるものだ、と私は理解している。宗教を攻撃するためではないし、擁護するためでもない。ただ、事実として存在する、そして存在するべき、宗教というものを認識した上で、人類は平和を望み、求めることができるのかどうか、本書からそこを考えてゆくようでありたいと思うのである。

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