本

『就活のまえに』

ホンとの本

『就活のまえに』
中沢孝夫
ちくまプリマー新書126
\800+
2010.1.

 ちくまプリマー新書は幾度かご紹介しているが、中高生ターゲットの、岩波ジュニア新書のコンセプトに近いシリーズだ。これは、就職を今後するであろう学生たちへのメッセージであり、ミクロ経済の方面を専門としているのではないか、と推測するが、就職活動について、もっと言えば「働くこと」について教えることも重要な使命と覚えて活躍しているベテランの著者が、かなり親身になって指導してくれる、という感じがする。
 サブタイトルに「良い仕事、好い職場とは?」と書いてあるが、なるほど、それが本書の軸であろうと思う。
 その「良い仕事」の定義を曖昧にしていると、読者の期待を裏切ることになる。というわけで、第1章が始まるとともに、「良い仕事」とは何か、明らかにしている。それはしょせん主観的なものであるが、著者が本書で目標にしている「良い」というのは、「長期にわたって本人が努力する限り、成長を助ける仕組みを持っている職場のこと」であるという。
 会社組織の維持のために、部品として人材を取っかえ引っかえ消費するタイプの企業や組織が、ないわけではない。しかし「人材育成」をしない企業は、本書は端から相手にしていない。
 職業に貴賎はない、とはいうものの、学生の就職を応援する立場からは、法に触れる、あるいは触れるすれすれといつた仕事を勧めるわけにはゆかないだろう。しかし、なかなか鋭い実際的観点をも教えてくれているのが、現場からの声の利点であろうか。それは、会社の歴史がそこそこあっても、平均勤続年数や平均年齢の数字が小さいところには、注意をしたほうがよい、とアドバイスしている。人が次々と辞めているからである。それは、要するに人材育成がなされていない、ということでもあるのだろう。
 恐らく実際の就職指導の中で知り得たことだろうとは思うが、具体的な例を、もちろんプライバシーの侵害にならい配慮の上で、物語ってくれるのもいい。なにも綺麗事であれやこれやの法則通りには進まないからだ。むしろ、就職面接の指導書などというものは把握しているのが人事担当者の当然の仕事なのであるから、いかにも参考をを勉強したな、というような言動の学生は、すぐに分かるのである。余りにも個性的で外れていたほうが目立つ、などというのはまた話が違うが、いかにもつくった答えを次々と返してくる学生には、見る目をもった担当者は、食指が動かないのだよ、とやんわりと批判する。
 私がまず注目したのは、「自己実現」についての話である。「本当の自分」を探すロマンに陥る若者が、ある時代は多かった。うまくいかなければ、これは本当の自分の仕事ではないとリタイアする。中には稀に、本当に自分に合わないケースがあるにはあるが、概ね、自分のほうに問題があり、落ち着かないということが多いのではないか。
 NHKの連続テレビ小説は、しばしば一途に夢を追いかける女性というのが主役に位置するわけだが、評判のいい「ちゅらさん」は、そうではなかった。自分が何をやりたいか見つからず、しかしとにかく舟を漕ぎ出してみよう、と何にでもぶつかる。その純朴な精神が、ドラマでは良い方向に描かれていたが、現実にあんなふうにふらふらとし、周りを心配させてばかりというのは、推奨できる生き方ではないように思われる。
 自己実現は、自分探しではない。それは、「多くの人々のとの共通する価値観のなかでこそ成立するもの」なのだ、と本書はゴシック体で強調する。「自己」とは何かなど、多くの人はよく分からないものなのだ、というスタンスで語っているのだ。そして、周りの人からの一定の「評価」なしには、自己満足以外の何ものでもない。仕事は、その意味ではただ自分だけで完結するものではないからである。
 それから、良い本を沢山読め、という忠告は、私も背後で拍手を贈りたいと思った。本の良さというものも説くが、自分の体験を表現するためにも、本を読むことが必要なのだ、と話す。具体的に紹介する本も何冊か挙げられているが、それは著者の懐にあるものであるだろう。それに縛られる必要はないが、私は、本当に読書をどうしてよいか分からない場合には、ここにあるものを全部読めばよいと思う。私は、高校を出て浪人し、理系から文系に転換したとき、受験の国語の雑誌にあった、お薦めの50冊というリストにとにかく挑戦した。たぶん、全部読んだと思う。ある人が掲げるリストには、それなりに意味がある。理想というレベルでは、そのリストは貧相かもしれない。だが、ひとつそのリストを全部征服できなくて、何か良いものを自分が選択できるとは思えない。読書の推薦書があったら、全部漏らさず読むとよい。著者と、サシで勝負する覚悟なしに、事態は打開できないと思うべきだ。
 就職する前から「転職」を話題にするのは変かもしれないが、就職情報の理解の仕方などを含め、心得ておくとよいことはある。その基本レベルではあるのだろうが、本書はそうした章も設けている。年功序列の真の意味や、趣味や道楽ですることと職業にすることとの違いを考える場もある。世の中は、とかく成功例しか出てこない。偶々成功した人が、自分はこうやった、と言うと、それをやりさえすれば誰でも成功する、と思う者が必ず現れる。論理的にそれは偽であることさえ、分からないのだから、そういう了見では、世の中でいくらでも騙され、失敗をしては立ち直れないようなままでいるかもしれない。
 発行から少しだけ時が経っていた。だから、必ずしも経済状況や世の中の仕組みなど、本書にあることが完全に言い当てているとは限らない面がある。これは聖書ではない。信じろ、というような読み方をすべきではない。だが、学ぶにはいい。あくまでも「会社」というところに「就職」するという生き方が基本ではあるから、そうでないタイプの仕事を求める人には直接当てはまらないこともあるだろう。だが、世の中というものを学ぶためにも、読んでも損はないだろう。引用文献も、すべて日本語で手に入るものであるから、手に取りやすい。但し、この巻末の「参考引用文献」は、全部読むべきリストではない。本書で引用した本が多数である。私の言う、網羅するのはどうか、と提言したのは、86,87頁のものである。
 なお、ドラッカーのエピソードからの引用だが、3人の石工に「何をしているのか」と訪ねる話が71頁から紹介されている。種は明かさないでおく。ここに「教会」の例が出てくる。ドラッカーは、教会経営についても実はよいアドバイスの本を記している。教会関係者は多くもうお読みだとは思うが、欧米での「教会」のもつ意味もここにこめられており、私の心には強く残った。付け加えておくことにしよう。




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