本

『捨てられる宗教』

ホンとの本

『捨てられる宗教』
島田裕巳
SB新書
\880+
2020.9.

 「はじめに」と「おわりに」に、コロナウイルスのことが触れられている。このコロナ禍の中で宗教はどうやっていくのだろう、とでも思ったら落胆する。コロナ禍のことは中には書かれていない。著者が従来懐いている考えを、タイトルを変えて述べているだけである。
 葬式がいらない、という本にあった通りに、葬式や死の場面で宗教が必要とされなくなったことを、いろいろな角度からまず述べる。何%がどうの、と数字を出すので、一見データ主義で客観的であるように見せることができる。
 2章がこの本のすべてである。「死生観A」と「死生観B」の区別を行う。かつての自然に死を恐れ弔う心をもって臨むのがAである。しかし「平均寿命」が伸びた現今、著者は「人生110年」と大袈裟に呼んでBの立場をより鮮明に描き出そうと布石を打っているが、退職後の長い時間を過ごすことになったようなこれからの死生観を強調する。
 つまり、Aの立場があってこそ、宗教は意義があった。いつ死ぬか知れない。どうすればいい。平安がほしい。病を癒してもらいたい。そこに宗教へのニーズがあった。しかし、医療が発達して、宗教が癒しを担うことはなくなった。なかなか死なない人生を設計できるようになると、もうそろそろ人生に飽きたなどと満足するが、そこに宗教を求める思いは関係しないのだという。もはや現代人にとり、宗教の必要性がなくなった。宗教はお呼びでないのだという。
 要するに最後まで、これだけを言っている。ページ数を稼ぐためか、後半で、映画「ローマの休日」の内容がやたら詳しく説明される。お好きなのだろう。また、歌舞伎の世界についても、とんでもなく長くだらだらと、歌舞伎役者の人間関係や裏話を描き続ける。これはその後の叙述を見ても分かるが、相当にファンであるらしい。しかしどうにも、これらのエピソードがこれだけの量を以てここで書かれなければならないのか、よく分からなかった。書かれてある筋道もよく分からず、思いつくままに知っていることをしゃべっているようにしか見えなかった。いや、もちろん人生観として、かのAやBに関連づけさせようとしていることははっきりしているが、どこをどのように強調しているのか、とにかくファンとして知っていることを何でも喋ろうとすることに忙しくて、どこを読めばよいのかが分からないのである。
 著者は若いころに山岸会で熱心に活動をしている。そのことにも幾度か触れている。そのことが新宗教への関心となったのであろうし、新宗教を理解する道も拓けたと言えるだろう。しかし、かつて「キリスト教入門」というタイトルの新書で、実はキリスト教はだめだとばかり強調し、読む人とをキリスト教から引き離そうとしているようにしか思えないことをしているのを見たとき、私はこの人への信頼度を決定的になくした。もちろんオウム真理教のときのことも知っているが、それでもまだ宗教について何か示唆してくれることがあるのではないかと期待する思いがあった。
 一見データを駆使しているようだが、よく見ると、何度も世界各国の「平均寿命」を説得のために用いており、長生きしているとかいないとか、即断する材料に用いている。しかし、「平均寿命」は、子どもの生存率に大きく左右される数字なのであって、老人だけの問題ではない。生き延びれば「平均余命」があり、当然「平均寿命」を越えた人にも「平均余命」はある。つまり、衛生状態がよくなったり、医療設備が充実するようになると、出産の危険がいくぶん下がり、平均寿命は延びる。その子が一方で若者のうちに死ぬ社会になっても、老人が死ななければ数字の上でどう出るか分からない。単純に、宗教が消えるというふうに結論づけられることではないはずだ。
 要するに、著者自身の中で、宗教が消滅しているのであろう。それを、万人と世界に投射しているように、読んでいると次第に思えてくる。信仰をもっていることは、世界的に見れば基本的なステイタスだ。宗教に熱心な人が減っているということには異論がない。だが、信仰がなくなっているようにはとても見えるものではない。著者が言いたいのは、宗教団体や宗教組織がこれまでのようには成り立たなくなってくる、というだけのことなのであって、宗教の心が捨てられているものではないはずだ。山岸会を抜け、自分の拠って立つ基盤がなくなった著者が、宗教組織を棄てたということは理解できるが、それが単純に、長命になったことで根拠づけられる真理であるかどうかは、また別物であるのではないか。
 副題は「葬式・墓・戒名を捨てた日本人の末路」である。そう、これは諸外国のデータを駆使する必要のない、日本人の問題だったはずである。「ローマの休日」に頁を割く必要はますますなくなってくる。また、信仰の問題ではなく、死に関する宗教儀式についてのニーズの問題を扱っていることを意味しているように見える。これをセンセーショナルに「捨てられる宗教」として売ろうとしているところが、販売戦略なのであろうが、結局他の売らんかなの新書と同じような内容と、趣味の歌舞伎の逸話で文字を埋め、危機感を煽り、人生に不安を与えてしまうような、やはり私にとり信用ならない本であったという結論になる。
 先に私は、キリスト教と仏教と神道とのこれからについて誠意ある探究とアドバイスを提示した本を読んでいただけに、全く違う空気がこんなにもあるものかと思うしかなかった。




Takapan
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