本

『超訳 広岡浅子』

ホンとの本

『超訳 広岡浅子』
広岡浅子
KADOKAWA・中経出版
\900+
2015.8.

 2015年秋からの連続テレビ小説、あわゆる朝ドラの「あさが来た」の主人公として、広岡浅子さんが選ばれた。それで本も幾多出版されたが、どこか地味な様子でもある。しかし視聴率は高いというわけで、おそらくドラマそのものの出来が良いのだろう。しかしドラマ以上に、本人の生涯は興味深いものがあるだろうと思うし、それを知りたいという人もいる。そこで伝記も先に紹介させて戴いたが、今回は本人の生の声である。
 だいぶ前に流行った「超訳」という言葉が今もあるのかと懐かしくさえ思ったが、訳を超えているという語は、今の人に読みやすく言葉を直している、という意味のようである。そもそも日本語で普通に書かれたもの、語られたものであるから、訳もなにもあったものではない。しかし、近年夏目漱石も古典の部類に入り、そのままの語では読めなくなったなどとも言われるからには、若干の文語体でえら、もうちんぷんかんぷんで振り向きたくもない代物に成り下がっているのかもしれない。
 浅子さんが晩年、キリスト教関係の文章として綴ったものも最近復刻されている。また、女子大学設立に関わったということもあり、大学での講演もあるし、他の場所で依頼されて語ったこともある。それは今でも、ビジネスの成功者を呼んで開く講演会が多々あることからも想像できるものだが、この明治大正期の女性である。どれほど変わった人に見られたかは想像に難くない。また、女の言うことなど、と陰口をたたく男性も少なからずいたことだろう。だが、彼女ほどのことを成し遂げた男性がどれほどいるのかというと、前へ出られる男がいたのかどうかさえ、怪しまれる。
 もちろんドラマでどのように描かれるか、本書が出版された時点では分かっていない。果たしてキリスト教信仰についての重要な人生観が語られるのかどうか、それは、村岡花子さんの場合も黒田官兵衛の場合も期待はずれであったため、今回もどうなのかとは案じられるものの、このように紹介するための本では、そこを描かなければ彼女を最後まで描ききることはできないと分かっているため、とくに今回は、教育もさることながら、その信仰についての側面を、彼女自身の書いたこと、語ったことにより、明らかにしようとする企画である。
 それを、文語調をすべてなくした、というのがこの「超訳」のウリのようである。私は原本を直接見ていないので分からないが、確かに何の違和感もなく読める。たぶん私だったら、元の文でも何の問題もなかっただろうと思われるが、こうして分かりやすく伝えられたら、今のどんな世代の人にも響いてくるものであろう。
 ドラマは、ビジネスの面がずっと強調されてきた。そして事実、若いときの浅子さんはそうだった。そのビジネスの中で、牧師やキリスト者と出会い、しだいに変えられていく。そして病気をきっかけに、信仰を意識し、ちょっとした後押しでそれが信仰なのだと安心して歩むようになる。浅子さんの背後に、あるいは根底に、どんな考えがあったのか、その人生の中の出来事を、彼女がどのように受け容れ、また乗り越えていったのか、語る中、綴る中に、それが滲み出てくるのは、味わい深い。
 また、きっと、人に勇気を与えうる言葉の数々であろう。「負けへんで」という、ドラマの声が聞こえてきそうである。




Takapan
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