本

『数学する精神 増補版』

ホンとの本

『数学する精神 増補版』
加藤文元
中公新書1912
\900+
2020.6.

2007年に発行されていたものに、多少の手を加えた上で、「後奏曲」と題した「正しさ」についての叙述を加えたものだという。副題が「正しさの創造、美しさの発見」ということで、数学が絶対的な真理であるというよりも、それを人間にとりいわば暫定的に正しいとされたものであるという眼差しで捉え直す試みであるようだ。それも、実質1週間で書き上げたというのだから、ふだん考えていたことが、一気呵成に流れ出たというものであるらしい。むしろその方が、つながりがよく、ひとつの塊として本一冊を味わうことができて、読者としてもありがたい気がする。
 私は、曖昧さのない数学が好きだった。正しいか誤りかがはっきり論理で分かる、それは子どもでも大人に対して、違うよと指摘することができる場でもあった。それは揺るがない真理である、と思われ、魅力があった。
 だが、時にそれは定義を用いて、世界を拡げる。現在の教育課程でも、整数で賄えない計算領域のために小数や分数を必要とし、負の数を拡張し、無理数の理解へと進む。複素数まで高校で領域を拡大するが、私の理解はせいぜいこの程度までである。なまじ数学科などを受験し、力が及ばなかったことを、今にして感謝するほどである。あの後数学を続けても、私は何もできなかっただろう。
 本書は横書きである。当然である。だが、当初それさえ出版において問題になったそうだが、それというのも、時折数式を見せるところが、読者を遠ざけるのではないかと懸念されたのだと考えられる。とんでもない。中学生でも大部分はついていけるし、高校生ならなおさらだ。数学とは無縁な生活をしている大人も、上手に読み飛ばすだろう。問題は、数学というものに少しでも首を突っ込んでくれるか、というところである。
 私は比較的、数学の概念についてはうるさいところがある。哲学を少しでもすると、そこにこだわる部分がどうしても、ある。しかし、これまでそうしたことについてあまり考えたことがない方も、興味深く入っていけるような勢いが、本書にはある。短期間で書く本というものの力ではないかと思う。感情ではなく、理詰めで書かれるために、ひとたび理屈の波に乗れたら、すいすいと読み進むことができるはずである。
 本全体は、同じ概念が多岐にわたり応用が利くことの一例を見せてくれるような形式になっている。それは、二項定理である。組み合わせからパスカルの三角形など、姿形を変えて活かされる数学的知識が、心地よく響いてくる。
 その他、無理数についても興味深い導入がなされており、通例参考書に書かれてあるのとはひと味違う気持ちよさをもたらしてくれる。中学生も、複素数あたりの説明が疑問を解いてくれるという場合もあるだろうし、興味があれば楽しく読めるのではないだろうか。
 しかし、私が数学に当初懐いていた「正しさ」というものも、定義次第で、また概念の拡張によって、いろいろに想定可能だということは、真理へのロマンを期待したことのある者としては、少し寂しい気がする。しかし、その後哲学という眼差しで、そのからくりにもものが言えるようになり、さらに信仰を与えられることによって、神の真理を覚り得ないことを弁えるようにもなった。まして、神はこうである、と普遍的な言明を投げかけようとする気など、起こらない。それでいて、神を信じるということにおいて、自分の無力と、神の素晴らしさとを向き合わせているのも事実である。
 数学は、人間がそこに「意味」を見出すからこそ、そこにあるという確信が与えられるし、真理だと見なされる。まだ若い著者が、勢いの中で書き上げたものを、十数年後にほぼそのままにして、補遺を加えるという程度で改めて出せているのは、評価が高かったからでもあろうが、著者の哲学的な検討そのものがさほど深まっていないことをも表すのではないかと勘ぐる。まだまだ、意味だの真理だということには、検討する余地が多々あるはずである。だが、新書でそれまで加えることは、到底できない。この作品は、それで完結ということでよいだろうと思う。ただ、読者が、ここのあちこちからヒントをもらい、それぞれが何かしらの考察をしていくのであれば、本書はたくさんの役立つ素材や視点を提供しているのだと言えよう。ただのお決まりの説明でなく、著者の信念めいたものや、独自の視点というものがあるだろうから、読者はそれと出会い、自分の世界観を磨いていくとよいだろうと思うし、それができる素材となっていると思う。
 難しすぎず、易しすぎず、それでいて、展開例が無数にあるような、ユニークな一冊であると見ている。




Takapan
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