本

『物語の役割』

ホンとの本

『物語の役割』
小川洋子
ちくまプリマー新書053
\760+
2007.2.

 読みたかった。訳あって少し保留していたのだが、ついに手に入れた。あまりの薄さに驚いたが、内容は決して薄くはなかった。
 三つの講演が収められているという。三鷹芸術文化センター・京都造形芸術大学・芦屋市での講演であり、「物語の役割」「物語が生まれる現場」「物語と私」となっている。特に大学での話は、創作のノウハウのようなところに焦点が当てられており、いわば企業秘密を明かしているかのようになっており、思わず身を乗り出して聞き入りたい気持ちになる。
 小川洋子氏の作品を殆ど読んだことがない私であったが、対談の本のために『博士の愛した数式』を読んでおいたため、本書を読むためにも役立った。最初の講演が、それに関する話が多かったのだ。いや、そんな私事などどうでもいい。こと「物語」というものについて思い入れのある私に撮り、語られた言葉がずばずば胸を刺してくる。それを拾ってみよう。
 「非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。……誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです。」(p22)
 「とうてい現実をそのまま受け入れることはできない。そのとき現実を、どうにかして受け入れられる形に転換していく。その働きが、私は物語であると思うのです。」(p25)
 「現実を棘で覆い、より苦しみに満ちた物語に変え、その棘で流した血の中から、新たな生き方を見出す。……人間が作り出す物語の尊さについて教えられた……。」(p36)
 「自分の思いを超えた、予想もしない何かに助けてもらわないと、小説は書けません。」(p49)
 「テーマなどというものは最初から存在していない……。言葉で一行で表現できてしまうならば、別に小説にする必要はない。……言葉にできないものを書いているのが小説ではないかと思うのです。」(p65)
 「人間の内面という抽象的な問題にとらわれず、目で観察できるものにひたすら集中する。そこから初めて、目に見えないものの存在が言葉に写し出されてくるのでは、と思っています。」(p69)
 「ストーリーは作家が考えるものではなくて、実はすでにあって、それを逃さないようにキャッチするのが作家の役目である。すでに物語自身が持っているストーリーを逃さず受け止めようという姿勢で、私は書くように努力しています。」(p71)
 「何かが起こる。それを表現する。紙の上に再現する。これが言葉の役割です。言葉が最初にあって、それに合わせて出来事が動くことは絶対にありえません。」(p75)
 そうか。だから、はじめにことばがあったという聖書は、画期的だったのだ。絶対にありえないことが起こったからこそ、神の出来事だったのだと私は知る。
 「本を開くと本の世界へ行って、閉じるとまたこちらの世界に戻ってこられる。本を開くというのは、あっちに行ったりこっちに帰ったりを自由に繰り返すことなんだ、という読書の感触……。」(p87)
 「自分というささやかな存在に振り回されるのではなく、そこから一歩離れて、世界を形作っている大きな流れに身を任せることの安心感……。」(p94)
 「言葉は、言葉のままではその本質は味わえない。その一言から喚起されるものによって、初めてその豊かさが味わえるし、言葉が生きてくる。」(p98)
 「人の死がいかに論理的な説明不可能なもので、この言葉にできない問題を繰り返し言語化しようとしているのが物語だ、という根本的な物語の役割……。」(p112)
 「一旦閉じこもることによって、外の世界と適度な距離を取り、自分と一対一で向き合うことによって、孤独を手に入れる。その孤独が人を成長させるのだと思います。」(p115)
 「物語とはまさに、普通の意味では存在し得ないもの、人と人、人と物、場所と場所、時間と時間等々の間に隠れて、普段はあいまいに見過ごされているものを表出させる器ではないでしょうか。……あいまいであることを許し、むしろ尊び、そこにこそ真実を見出そうとする。それが物語です。」(p118)
 殆ど私の覚え書きのようなものとなった。もちろん、これらの言葉がこぼれてくるのは、短くとも豊富な実例が紹介され、自分の体験が語られる中においてであるから、ここだけ見ても抽象的なままに留まると言えるだろう。物語は、あらすじを知ったところで、何の経験ももたらさないのだ。
 小川洋子氏は、アンネ・フランクを通じて、ナチスの収容所についても多くのことをご存じであり、人間を見つめる眼差しをそこで育てている。本書にも、その実例が関わってくるし、いくつかの面白い話ネタのようなものも例示されており、それは直に本書を辿っていくことで、読者の中に生き生きとしたものを伝えていくことだろう。
 そして、登場した本の中の1冊を、即座に注文してしまった。本書なしでは、決して買うことのなかったはずの本である。こうして私の部屋は本で埋め尽くされていく。
 でもそれは、「まえがき」にこめられた著者の心に沿うものであると信じたい。曰く――改めて物語の魅力を確認し、物語の役割に目覚め、「ああ、本を読むことは何と素晴らしいことであろうか」と思ってくれたら、との願い……。




Takapan
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