本

『増補改訂版 たましいのケア』

ホンとの本

『増補改訂版 たましいのケア』
藤井理恵・藤井美和
いのちのことば社
\1400+
2000.9.

 実はこの「増補改訂版」は、2009年からである。その前の版は8刷まで出ているし、入手した2010年発行は改訂版の3刷である。キリスト教専門の出版社の本としては、異例の発行ではないだろうか。
 さるラジオ番組の関係で著者のことを知り、学術的でない読みやすそうなものということで、本書と出会った。著者は2人する。双生児だということは、本書で初めて知った。
 理恵氏は薬学を学び、美和氏は法律を学んだ。だが、それぞれ後に牧師・チャプレンとして、死生学の教授(本書出版の後の肩書き)として、活躍することになる。
 クリスチャンである。「いのちのことば社」に相応しい信仰の持ち主である。サブタイトルは「病む人のかたわらに」とあり、正にそれに尽きる。淀川キリスト教病院は、理恵氏の現場でもあるが、工藤信夫先生との関わりも伺わせており、クリスチャンの環境に囲まれた形で本はできあがっている。しかし、本書にはキリスト教を押しつけようという雰囲気はない。確かに、キリスト教病院には、信仰をもつ患者がいることは確かだし、そういう信仰を懐きつつ亡くなってゆく姿がここに記されることがあるのは事実だが、それで信仰を勧めようという意図が表に出るようなものではないと私は理解している。
 ただただ、死を見つめる眼差しと、そこにいる人への思いとが凝縮している。信仰とは無関係に読んで戴いてもよいのではないかと思う。
 前半を理恵氏が、後半を美和氏が担当している。
 前半は、「病む人のかたわらに」というタイトルで、チャプレン、即ち病院牧師としての自らの歩みが紹介された後に、タイトル通りの「たましいのケア」、あるいはスピリチュアルケアと、ホスピスの現場から伝えたいことが綴られている。
 まず、製薬会社で自ら命を絶った人との出会い。これが、牧師への道を歩むきっかけであったという。その人と特に何かの関係があったわけではないのだが、「私もあの人を死に追いやったのだ」との思いがそうさせている。これは、クリスチャンであるならば、必ず痛切に覚える感覚である。それをごまかすようなクリスチャンはいないのだが、なかなかそれで自分の人生を転換させるというところにまではいきにくい。
 いろいろな人との出会いが綴られている。病院の現場が、生々しく伝わってくる。必ずしも学的に構築された書き方ではない。筋道だった紹介でもないかもしれない。だが、いつしか読者は、その病院に自分が来ているような気持ちになってゆく。いま目の前で、死に瀕した人がいる。あるいは、死を宣告された人がいる。その目の前で、私はどうしたらよいのだろうか。
 著者もまた、それで幾つもの失敗を重ね、また失敗例を見聞することによって、患者の思いを大切にするには何に気づかねばならないか、を教えられてゆく。そうした歩みが、ここに刻まれてゆくのである。最初から大上段に構えたところから教えを垂れるようなことでは、絶対にないのである。
 その意味では、重い病に冒された身内をもつ人、高齢でいつどうなるか知れないような親をもつ人にも、そっと誰かが寄り添ってくれるような錯覚さえ、本書から覚えるのではないだろうか、と思う。
 そうは言いつつも、的確なアドバイスは、プロの立場から教えてくれる。では見舞いに来たあなたは、その患者にどのように接するのがセオリーなのだろうか。訪問回数や時刻などにも、アドバイスをくれる。もちろん、定律があるわけではないし、画一的に考えてはならない。しかし、患者本位になって考えようとしたときに、こうした捉え方がある、という配慮があるかないかでは、ずいぶん違うだろう。公式的に、これはこうに違いない、と決めつけてはならないはずである。そうした注意も、柔らかく、だが毅然と示してある。
 そして、むしろ患者から教えられることが山ほど在るのだ、という点を振り返って、前半を結ぶ。神に委ねる、というようなクリスチャン的な解説もあるが、きっとどなたも何かしら共感してくれるのではないかと期待している。
 後半は、「たましいのケア」との題を呈している。美和氏の語りだが、これがいきなり度肝を抜かれる。会社に入って6年目、突如病魔に襲われるのである。その凄まじさは本書の叙述にはとても追いつけないのでここでは明かさないが、動けなくなり生死の間を彷徨うのである。ここから立ち直ったとき、死を覚悟する患者の体験をした人間の強みというものがある。だからこそ、言えることがあると思うのだ。本書の後半は、そこから零れてくる言葉に満ちている。それだけでも、触れる価値があるに違いない。
 アメリカに、生と死についての学を修めに留学する。広い見識を得て、日本で、その道を進んでいる。
 従って、後半はどちらかと言えば理論的な説明が多くなる。しかし、一般の人が読めるように、普通の読み物のように読むことができるだけの配慮はなされていると思う。正に「たましいのケア」が主題であるが、「死に対する態度」というものを真正面に据え、死を眼前に見る人とそうでない人との違いを明らかにし、医療者からもどうかという問いかけをする。医療者がまた、患者から教えられ、ゆるされてきたのだ、との認識がそこにある。
 また、そのとき、そこにいる一人の患者は、その人間単独で存在しているのではないことに気づかされる。その人が出会った世界、その人を取り巻く人々、それらとの関係の中に、その人は置かれている。家族や友人をすべてひっくるめての、その人なのである。そこに死というものがどういう意味をもってくるのか、それを前提にしなければ、死に対する態度を考えることができないのである。
 原理的に、死は避けることができない。だから『死ぬ瞬間』のロス博士のように、受容という概念による説明が必要になることもあるが、そこに何らかの「幸福」を感じることはできないだろう。いや、できるはずだ。それは普遍的に決定されるようなものではないにしろ、その人に真に「寄り添う」ことにより、共にその時間をつくりあげることができるのではないだろうか。
 お気軽に、自分の善行を誇りたいために「寄り添う」という言葉が飛び交うことがある。教会の中になど、それを幾らでも見る。しかし、本書がここに咲かせている花は、そのようなものではない。私は、最初そこまで期待していなかったが、本書に出会って、本当によかったと感謝している。これは直ちに、力になる本だと思う。それはきっと、本当の「愛」が背後に流れているからではないか、と私は密かに推測している。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります