本

『想像力』

ホンとの本

『想像力』
内田伸子
春秋社
\1800+
2023.1.

 著者は、発達心理学を中心とした、認知科学や保育学の方面を専門とする方であるらしい。子育てに関する著作が多く、ベネッセの教材の監修に携わっている。ということは、我が子もしばしお世話になっていたことになる。楽しく物事に興味をもち、心も成長させて戴いた。今のEテレの子どもの番組もそうなら、ずうっと育てられてきたことになる。
 さて、タイトルは少しばかり掴みづらいほど大きなテーマである。「想像力」とはこれいかに。ドイツ哲学では、時に「構想力」とも訳す。人間の認識能力のひとつと言えるだろう。本書はもちろん、その定義をしようという意図で作られているのではない。本の副題は「生きる力の源をさぐる」となっている。なるほど、想像力がなければひとは生きていけないのである。生きるためには、想像力というものが必要なのだ。
 「まえがき」では、有名なフランクルのクリスマスの出来事が紹介されている。ご存じない方は、わりと詳しく記されているので、ぜひしっかりと読んでおいて戴きたい。多くの人が引用する箇所であり、議論のために持ち出す内容である。但し、「人はパンのみにて生きるのではありません」と言いながら、「想像力」こそが希望を与えた、と簡単に言ってのけるのには、聖書のオタクからすれば、違うことを広めることになってしまい、困るなあと正直思う。
 議論の細かな点を晒してしまうつもりはないのであるが、およその話の流れはご紹介してもよろしいだろうか。まず「想像力とは何か」から入るが、やはり哲学的に議論するご様子ではない。ただ、最初に「希望」という概念と結びつけているから、やはり本書を捉えるときに、この「希望」という遠い目標のようなものを、常に気にしているとよいのではないか、と思う。
 次は「想像の脳神経学基盤」と、少し内容が固くなる。認知科学の解説である。ただ、それは子どもの心の発達を知るためであり、一つひとつのエピソードは興味深い。
 それから「想像のメカニズム」が続く。「経験」がどのように「知識」して定着していくのか。お話の具体的な提示が面白い。次の「想像力とことばの発達」や「創造と会話」は、想像力というものが具体的な表現として結実する、物語という方向に私たちの目を向けてくれる。
 ただ、実はアンチの存在が、この想像力というものについては大きな意味をもつ。それが「嘘」である。「ウソとだましのからくり」という章は、かなり面白い。子どもは、実は平気で嘘をつく。それが、保身のための意図的な嘘である場合もあるが、それだけではない。これはテレビで実験のようなことが行われているのを見たこともある。子どもはそれほど計算高く嘘を言っているのではないのである。続く「フェイクがリアルに転ずるとき」には、懐かしい「口裂け女」の分析がなされている。金融恐慌を引き起すような、嘘に対する奇妙ななだれ現象は、社会をも脅かすことがある。関東大震災のときの、朝鮮人の虐殺は、案外重んじられていないが、もっともっと常に心の中に置いておかなければならないはずである。このことは、「想像にひそむ破壊力」の章で痛々しく描かれる。
 その前に「描くこと・想像すること」という章が挟まっている。空想の生き物を子どもたちに描かせた結果が紹介されている。
 先の「破壊力」の章は、かなり腰を落ち着けて読むべき章である。理論や実例で、かなり深刻な一面を次々とぶつけてくる。それは、新型コロナウイルス感染症が拡がったそのときにも多々あったのだ。フェイクニュースには、人々は簡単に引っかかる。単独で振り込め詐欺というのも問題だが、社会全体が、集団幻想の中にでもあるかのように、一気に心理的にデマや誤った認識に流れて行ってしまうことが、本当に恐ろしい。暴力的になることもあるし、さらに多くの人の意見が一致することで、なんと民主主義的な正義と化してしまう可能性があるのである。否、それは現にそうなっているように私は思う。「民主主義」という偶像が、そうさせる面もある。皆が間違った幻をもったとしても、数が多ければそれが正義となるのである。妙な想像力の中に多くの人がはまれば、怖いことになる。少数だったから、オウム真理教はまだ社会全体を破壊はしなかった。だが、政治を目的とした統一協会は、社会全体を破壊しようとしていたのだ。
 こうした暗い側面を十分検討した後に、本書は最後に「創造的想像者として生きる」と題する最終章に、希望を抱かせる。日本語で偶々「想像」と「創造」とが同じことからくるひとつの言葉遊びのようであるが、案外これは本当に重なるもの、つながるものとして捉えられなければならないと言われている。ここでもそうだ。
 必ずしも明確に、それを理論化している訳ではない。むしろ、子どもたちに対してはどういう点に気をつけてこのことを用いるとよいのか、考えられている。となると、そこで次に問題となるのはAIである。著者は、AIに負けない力として、創造的想像力なるものを提言する。ネタばらしになるかもしれないが、ここは大切なのでその指摘を皆さんと一緒に考えたい。
 「クリエイティビティ」を発揮して新たな価値を創造し続け、「ホスピタリティ」によって、他者に共感と敬意の念を懐きつつ、情況依存的に自分勝手なふるまいを「マネージメント」しながら他者と折り合いをつけて共存・共働して生きる力、それが人間なのだ、として、AIでは賄えないことを強く主張している(p283)。
 但し、「クリエイティビティ」にしても「ホスピタリティ」にしても、定義の問題になる可能性があると私は考える。それの定義によっては、AIもできるのではないか、と懸念しているのである。実際、この発行時には世界中で「ChatGPT」が大きく議論されている。この時点でもはや、学術的な論文やレポートにおいて、これを防ぐことが難しいと言われているのである。それどころか、礼拝説教をこれで作成しても、大きな不自然さを感じさせないほどにまで、AIは、ビッグデータと共に、実力をつけている。著者の希望は分かるが、現実はどうなるか、分からないと言わざるをえない見通しをもつ時代となっているのである。
 他方で、考えることを面倒に思う人々、自分では考えているつもりで実は操られているという人々、こうした問題が、いま渦巻いている。想像力が欠落しているとみられる行為や言動が、周りを見渡せばいくらでもあるし、想像力そのものが滅亡の危機にある、という声もある。私も実はかなり悲観的である。明るい希望をもちたい著者の気持ちを汲みながら、教育の現場では希望をもちつつ、人間社会全体のためには危機意識を以て、「想像力」という言葉をテーマに、叫び続けなければならないのではないか、と私は言いたい。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります