『その世とこの世』
谷川俊太郎・ブレイディみかこ:奥村門土絵
岩波書店
\1600+
2023.11.
「その世」という言葉は、当然あり得るものではあるが、使わない言葉であるだろう。しかも、「その世とこの世」という並べ方となると、何らかの対照をさせているにも拘らず、意味不明なものとなる。これが、詩人の世界であるという見本のようなものだと思った。
詩人・谷川俊太郎は2024年に、二十億光年の彼方に旅立った。好きな詩人の一人だった。いまその詩を読み返す試みをしている。本書もその意味で、見つけ出した。
雑誌「図書」に、2022年から2023年にかけて連載されたものである。それに、若いアーチストの絵を含めた形で、単行本化した。まるで詩のように、行間や字の大きさがゆったりと流れてゆく。
二人の、往復書簡という形での対話が掲載されている。事の次第は、最初のみかこさんの手紙に記されている。往復書簡の企画自体は規定のもののようだが、「長い文章は書きたくないし、読みたくない」と谷川俊太郎さんが言って居たのを聞いて、ためらいを覚えた、という心理が記されている。
しかし、みかこさんが堂々と、自分の中の問題意識を吐露し、谷川さんにぶつけてゆく。猛烈な執筆量をもつみかこさんが繰り出すお喋りは、常に何らかの主題を提示し、それに対して谷川さんがレスポンスしてゆく、というような感じで事は進んでゆくのである。
書簡の一つひとつに、みかこさんが日付に寄せて、いま何をしているかを書き足すようなところにも、読者は愉しみをもつことだろうが、とにかく話題に尽きないので、読者は厭きることがない。
さすがに谷川さんの返信は、さほど長くない。だが、検討された内容を、選び抜かれた言葉で簡潔にまとめて表現しているのはさすがである。そして、みかこさんが、「もしできましたら」と言いつつも、最初に、「わたしのさらなるダラダラ考察のきっかけとなるような詩をいただけたら」と遠慮がちにお願いをしたことに対して、毎回詩を加えて手紙を結んでいるのが、読者としてはたまらない。
最初のその返信に対してみかこさんは、「ナマ谷川だ!」と興奮する。そしてまた、新たな世界を提示する。こうして、話題は不規則に展開するのである。
無骨なふうにすら見える谷川さんの返答の中で、初めのほうで、本のタイトルになるきっかけの詩が掲げられる。「その世」というタイトルの詩だ。最初のほうだけここに記すと、「この世とあの世のあわいに/その世はある/騒々しいこの世と違って/その世は静かだが//あの世の沈黙に/与していない/(中略)/とどまることができない/その世のつかの間に/人はこの世を忘れ/知らないあの世を懐かしむ/(略)」
これに対してみかこさんは、英語でこれをまず捉える。イギリス在住であるから、それは当然であったかもしれないが、新鮮な受け止め方であると思う。つまり、「あの」は「that」であり、「この」は「this」であるが、はて、「その」は何だろう、というのである。英語にないこの区別の中で、あえて英語にすれば「somewhire in between」になるだろうか、と悩んでいる。そこに、國分功一郎さんの「中動態」のようなものを見出しているところは、その話を知る者にとっては愉快であった。
ここに私が強引に参加することにするが、私には「その世」についての一つのイメージが自然にできていた。それは、信仰の世界である。理想的な「教会」を思い浮かべるのもよいだろう。信仰生活は、この世から浮き出ている。この世に完全にどっぷり浸かっていては、信仰生活にならない。そして心では神の国の市民権を与えられていると喜んでいる。しかし、ここに生きて生活している限り、いまここに神の国が実現しているわけではない。信仰者の国籍は天にあると信じているが、まだ移り住んではいない。かといって、神の国は遠い無縁なものではなく、神の国はそこかしこにある、という考え方も分かっている。そのようにして、信者は地上を旅する寄留者だ、というふうに自覚しているのが通例である。そのような信仰者の立場が「その世」と呼べる性質のものだ、というふうに、普段から捉えていたわけである。
もちろん、ここで谷川さんが言っているのがそのようなものである、と言いたいわけではない。しかし、哲学者谷川徹三を父にもち、哲学的な思考が何らかの形で生来備わっていた谷川俊太郎さんにとって、宗教の世界は、それを信仰としてもつことはないにしても、考えられる世界の一つであったことは確かだと思う。宗教心をもつかもたないかは別に、宗教に無関心な哲学者は、考えられないのである。
それぞれの生い立ちや考え、見聞きしたことを鏤めながら、ゆったりとした対話が進んでゆく。1年半に及ぶ往復書簡は、企画の予定通りに幕を閉じるわけだが、その間、みかこさんは母親を喪っている。日本と英国とで距離を置きながら、また母娘のやや複雑な心理的関係も含みながら、介護の必要を要した母親を送り、また遺品整理をする中で、この対話にはまたとない要素が組み込まれていったようである。そして、その一連の動きの中で、「その世」というものを、自分なりに感じたのだ、と告白している。
谷川さんはそれに応える最後の書簡で、自分もまた妻だった人たちとの別れを経験していることを踏まえてなのかどうか分からないが、「他人」という存在の実感を口にしている。最後の詩は、こうして結ばれている。「この世は他人だらけである/他人でないのは自分だけだと思うと/寂しい」
何のあとがきもなく、ここでぷつりと終わった本書は、読者を必ずその先に連れて行くものとなるだろう。

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