『汚れた手をそこで拭かない』
芦沢央
文藝春秋
\1500+
2020.9.
図書館で借りた妻が、途中だったが返却期限が来て、延長を申し込んだら、これは予約が入っているからと言われて、返却した。ちょうど直木賞候補に上がった作家だったので、注目されたのだろう。妻は、途中だったので、その後どうなったのだろうとやきもきしていた。私はまた予約した。しばらくして借りることができて、妻も安心したが、私も面白いと言われて読むことにした。
ずばり、面白かった。臨場感ときたら、ただならぬものがある。そして、小市民的なごまかしと、その嘘を見抜く頭のいい存在があり、ばれないかとドキドキハラハラさせるのだ。
村上春樹なども、奇想天外な冒険や体験をするが、その比ではない。もう読む方も、明らかに鼓動が激しくなるのだ。いやぁ、これはばれるぞ、大丈夫か、そんなふうにして活字が活字ではなくなり、体験となっていく。
この作家は、本のタイトルからしてドキドキさせるものが多いのだが、この題もまた意味深というか、象徴的で美しい。この題の作品はこの中にはない。これはこの人のやり方のようで、短編ミステリーを集めた本の題は、新たにつけたタイトルとなつている。ここでも5つの短編から成り、そのどれもがハラハラさせる。
先の長くない妻に、夫が、人を殺したのも同然だということを打ち明ける。しかし打ち明けていく中で、妻はその登場人物の中のトリックに気づいていく。
小学校のプールの水を抜いてしまった若い教師が、なんとかごまかそうとするが、同僚に見抜かれてしまい、さあどうするか。
電気代が払えず孤独死した隣人は、もしかすると自分が殺したことに等しいのではないかと怯える年寄り夫婦。
アイドルが出演する映画の撮影現場に舞い込んだスキャンダルと事故死。そこにありえない証言をする女性が現れる。
昔不倫をしていた恋人が、有名になったその女性の前に現れて、実にいやらしい脅しめいたものを寄せてくる。
こうした設定だけで、何かが起こることが必定のようだ。そして、それぞれのストーリーで、登場人物が様々に異なることで、読む者を厭きさせない。別々の場面、いろいろな物語がそこに展開することが面白い。同じようなパターンにならないように、作者の工夫たるや、なかなかのものである。
推理小説というと、どうにも殺人事件があって、犯人を捜すというスタイルが定番のようにもなっている。だが、ここにあるのはそんなものではない。人が死ぬものもあるが、たいていはそうではない。日常生活の隙間に、ふと舞い込むような、ちょっとした恐怖。なんとかそれをごまかそうと嘘や弁解を考えていく人間のせこさ、狡さ。しかし現実はそれを暴く方向に走るので、完全犯罪のようなものはなかなかできるものではない。悪意を以て誰かを殺すのでなくても、何かしら人に死をもたらすような仕打ちは可能なのであり、それをいくら知恵で読み尽くしてしまおうとしても、思惑通りにことが運ぶものではないのだ。
罠は生活の中にいくらでもある。せいぜい真面目に危険を冒さずに暮らしていくのがよいのだよ、と思わされそうにもなる、トラブルの羅列。ああ、このドキドキがたまらない。面白かった。