本

『子どもが育つ条件』

ホンとの本

『子どもが育つ条件』
柏木惠子
岩波新書1142
\777
2008.7

 私たちは普通「子育て」と言うし、親は「子を育てる」ことで悩む。「育て方」を模索し、人に尋ね、本を探す。しかし、それでも、この本のタイトルに違和感を抱かないのが普通ではないかと思う。つまり、私たちは「育てる」も「育つ」も同一のこととして把握している。さらに言えば、私たちは、実は「育てる」ことしか考えていないのに、自分は「育つ」ことをも網羅して考えている、と勘違いしている。
 問題は、おそらくそこにあるのである。
 著者は、「育てる」ことと「育つ」こととは違う、と繰り返し力説する。私からすれば、当然と思われるような意見や資料を引いて訴えているのだが、もしかすると、一般的には、当然ではないのかもしれない。なんだか当たり前のように思えてならないのは、私が、子育てに曲がりなりにも参加しているからであるかもしれない。私は子煩悩とも言えないが、子を遠ざけているのでもないし、たとえ口をきかないのであるにしても、子に対する眼差しはもっているつもりだし、子のほうでもそれを感じているだろうと思う。いや、そのように思っているのは親だけだというおめでたいことなのかもしれないが、子どもはやはり、親の眼差しは感じないはずはないものだと思う。
 この筆者も、おそらくそういう見方をしていると思う。副題に「家族心理学からかんがえる」とある。だが、そうした胡散臭い心理学の権威のようなものを用いることはなく、しかもある特殊な家族例だけで図らず、あるいはまた、個々のケースをまるで無視して一般論で解決したような気分になっているというわけでもなく、データの重みというものも十分理解し、活用している。人間らしい暖かい視線や心をもつことなしには、こうした家族の問題への提言など、できるはずがないのだ。
 結論的な部分だと思うが、子どもはたしかに自ら育つ力をもっており、そのときに、親がどう生きているかを見て育っている、という論点が強調されていた。それは私も感じる。親が毎日テレビ漬けで、本など開いてもいないとき、その親が「ゲームなどせず勉強しなさい、本を読みなさい」などと子どもに命じることほど、馬鹿げているものはない。仕事で疲れて帰ってきたからそのくらいいいじゃないか、などと親が考えているとすれば、子どもはそうした人間の狡さをそこから学んでいるのであり、いうなれば「いじめ」の論理を親の言動から学習しているとさえ言える。親が赤信号を渡っているのを見ていれば、子どもに法に従うという概念が、生まれてくることもないと考えるのが妥当なのである。
 親もまた、子どもに教えられる。いや、親だからこそ、子どもに教えられる。そして、子どもによって親になっていくのであり、親へと成長させられていくものである。
 私はそんな実感の中で生きてきた。この筆者もまた、その地平で子どもや親をとらえているのではないかと私は感じている。また、単純にそれだけのことに限らない、社会の中での男親の、あるいは女親の立場や考え方も、様々な側面から捉えている。親としての立場をもつ人が、あるいは何らかの形で子どもと接する立場にあるような人が、ふと、自分を客観的に見つめてみたいというときにも、この本はよいヒントを与えてくれることであろう。




Takapan
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