本

『小さい(つ)が消えた日』

ホンとの本

『小さい(つ)が消えた日』
ステファノ・フォン・ロー文
トルステン・クロケンブリンク絵
三修社
\1400+
2008.11.

 作者の名と本の題やテーマが、最初理解できなかった。日本語訳の本なのかと思ったが、どう考えてもこの話にはそぐわない。タイトルはドイツ語でも掲げられていて、それを訳すと「小さいつの物語」みたいな感じなのだが、ドイツ語で元来その「つ」なるものがあるなどとは思えず、不思議な気持ちで読み始めてみた。いや、これは完全に日本人の手による、日本語の文字をキャラクターにした物語ではないのか。気になって著者紹介を開けてみると、筆者はドイツ人だが学生として来日し日本文化を研究し、東大でも多くを学んでいる。五カ国語に長け、現在はフランクフルトの日本証券会社に勤務しているという。日本語を学んだ方なのだ。しかし五十音の面白さを感じたのか、実に見事に日本語の特徴を踏まえてキャラクター化している。驚いた。
 イラストがまた可愛いのだが、妖精のような一人ひとりが、日本語の文字である。「あ」などは自分がトップなので鼻高々だし、「を」は中立的な立場で皆を仲良くさせるなどという。「か」は哲学者みたいに何でも疑うのだという。確かに、〜だろうか、と問うときに登場する。こんなふうにそれぞれの文字を楽しく特徴づけて話は始まる。この話自体は別の物語中の物語となっているのだが、今回はそのことには触れないでおく。
 さて、主人公は小さい「つ」である。優しく気を配ることができ、周りをよく見ているという正確付けがなされている。ただ、彼には残念な特徴があった。「口がきけない」のである。自分では一言も話せないのだ。
 そう、この促音としての小さな「つ」は、一瞬言葉が消える瞬間を示すものである。可愛い男の子なのだが、他の文字とは決定的に違う特徴があったということになる。
 ある日の集会で、文字たちは自慢話を始める。自分が一番だと思う設定を紹介して、自分をアピールするのだ。しかし、小さい「つ」はとても悲しかった。一番えらくない代表として担ぎ出されてしまったのだ。音を出さないから、文字でもなんでもない、とまで言われたのだ。悲しみのあまり、小さい「つ」は書き置きを残して家出をしてしまう。
 すると、文字たちの世界に異変が起こった。「失態をさらす」と言おうとしても「死体をさらす」になってしまう。小さい「つ」がいなくなって、人々は困ってしまった。「訴えませんか」と言おうとしても「歌えませんか」にしかならないのである。
 そのころ小さい「つ」は田舎町を歩いて楽しんでいた。ひとりの時間を楽しく過ごしていた。他方、五十音村は大騒ぎになっていた。いや「なていた」としか書けないような状況になっていた。皆で小さい「つ」を探すことにした。
 日本じゅうが困っていた。いっそのこと日本語をやめて英語にしたらどうか、とか、手話を使ったら、とか提案がなされる。しかしそうすると、日本語がすたれて消えてしまうかもしれない。日本はとても大きく、小さい「つ」はとても小さいのでなかなか見つけられないことが懸念された。文字たちは、人間の力を借りて、人間世界に「つ」へ呼びかける広告文を様々なメディアを使って世にばらまく。
 どのようにして小さな「つ」は戻ってきたのか。それをここに書いてしまうのは余りにもネタばらしが酷いだろう。とにかく小さい「つ」は皆に歓迎され、その大切さを皆が認識した。
 音がないから必要ないもののように思える小さい「つ」も、実は他の文字と同じくらい大切だったのだ。そして私たちは、一度なくす経験をして初めて、その大切さを噛みしめるようになる。心に染みいる物語がこうして閉じられていく。
 実によくできた話だ。そして、キリスト教文化が流れる中で、日本語の文字の特徴がよく描かれ、リアル感がある。小さな絵本タイプで、その半分が絵の頁だとしても、全部で100頁ほどもある、なかなかの力作である。そして、厭きさせない。これがそんなに話題に上らないのは何故だろう――と思ったら、調べてみて分かった。この本、「ジャパネット」の高田明元社長が、社員に薦めていた本なのだそうだ。これを知ったとき、この会社が成功している訳が少し分かったような気がした。見えないもの、聞こえないものだから不要なのではない。誰もが大切なのだという思いを社員に理解してもらおうとする姿勢は、自らがそのようにしていなければできることではない。
 日本人ならば読めないことはまずないであろう。そして、ことば遊びもふんだんに取り入れられている。これは隠れた名作だとお勧めしたい。




Takapan
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