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『懐疑論』

ホンとの本

『懐疑論』
古田徹也
中公新書2894
\980+
2026.2.

 サブタイトルが「古代ギリシアからデカルト、陰謀論まで」とあり、目立つ。懐疑論という言葉について幾らかでも知識があるならば、きっと読み通せるであろう。もしなくても、面白いと思う人はきっといるだろう。
 最近の中公新書は、とてもよい。思想分野に冴えている。ベースとなる概念を正面から掲げ、しかもいまのこの世界で扱われている語と概念を確かなものとして伝えてくれる。そしてこのサブタイトルがまたいい。ピュロン主義がメインではあるが、古代の懐疑論、そしてデカルトは方法的懐疑に過ぎなかったが、決して意義は小さくはない。陰謀論は、もしかするとやや販売目的であったかもしれない。それよりも実質本書の中で大きな位置を占めているのが、ウィトゲンシュタインである。これをサブタイトルから外したのは、人名として長すぎるからであろうと思われるが、もったいなかった。本書が売られているその中で、MHKのEテレ「100分de名著」が、ちょうどウィトゲンシュタインを取り上げることになっていたからだ。テキストを読んだが、とても分かりやすくて、そこでウィトゲンシュタインとは面白いものだ、と感じた人は、本書の帯にあるウィトゲンシュタインの写真にさえ気づけば、手に取ってみるかもしれないが、あいにく文字がない。
 だがひとたび議論が始まれば、読者はきっとその道を愉快に進むことだろう。丁寧に説明が行き届き、誤解を招きそうなところは解きほぐすように念を押して語る。  その「はじめに」に注意されていることだが、「古代において展開された懐疑主義と、近代以降に大きな影響力をもって懐疑論との対比」が大きな理解のポイントとなるだろう。そうして、古代の懐疑主義については積極的な意義を見出すことになるであろうことを予め伝えている。私たちは、凡ゆるものを疑うことはできない。だが、必要な疑いは有するべきである。そこが、両極端にならないように、その健全な使い方というものを学びたいものだ。何もかも信用することはできないが、何もかも疑うことも同様にできないのである。
 そこで本編では、先ず「古代ギリシアでの勃興」と題して、本書のひとつの基となる懐疑主義の説明がなされる。登場するのはプロタゴラスからピュロンである。また、「中期アカデメイア派」として、「判断保留」の原則を立てた立場を強調する。
 そのことは、次章の「ピュロン主義」で詳しく論じられる。判断保留のための方式が細かく挙げられて、非常に具体的な議論が展開する。そして、ピュロン主義についての細かな理解のための配慮が続くことになる。
 それからは「近代以降の姿」と題した章で、モンテーニュとデカルトが大きく取り上げられる。もちろんデカルトは方法的懐疑ではあるが、簡単に片づけられない、懐疑についての重要な布石がそこにある。このとき、「全面的懐疑論と局所的懐疑論」とを丁寧により分け、一口に「懐疑論」で済ませてはならない点を読者にはっきりと打ち立てることになる。
 そして面白いのは、「ウィトゲンシュタインとその周辺」の章であろう。言語についての眼差しを人類に強く与えてくれたその哲学は、「知識」の根拠や、「生活形式」に於ける必要性、「世界像」の捉え方など、非常に現代的な、しかし人間の生活に於いて大切な急所が示されているように思われる。そのときにオースティンにまで至るのだが、このウィトゲンシュタインについては2026年4月のEテレ「100分de名著」で取り上げられており、私は偶々そのテキストと本書とをほぼ同じ時季に読んだために、リンクして実に味わい深かった。そのテキストには、巻末にオースティンの本も是非と紹介されていたために、問題意識からしても、本書とのつながりを強く感じた次第である。――ついでに言うと、それは当然なのである。100分de名著のウィトゲンシュタインのテキストを記したのも、本書と同じ古田徹也氏なのである。かのテキストは、実に丁寧で、私も目を開かされた気がする。両方を手に取ったのは、幸いであった。
 結論じみたことを露わにしすぎるのはよくないかもしれないが、最終章で本書は懐疑主義を積極的に評価するに至る。それは「性急さから遠ざかる」というフレーズで示される態度である。陰謀論というものがここでようやく取り上げられるのであるが、SNSで如何にもちゃんとした議論や意見が出ているかのように見えていながら、それは実に危険で、人間が自分を正しいと言ってしまう過ちを推し進めてしまう罠があることを、改めて指摘するのである。当たり前のことなのだ。冷静に思索する哲学者が二千年以上にわたり考えてきたことを踏まえることなく、一時の思いつきが簡単に飛び交い、言葉の凶器を振り回す効果を自在に発揮するシステムが、現代にできあがっているのである。懐疑する自分だけは正しい、と思い込んでいるその愚かさに、先人たちは十分気づいていたし、歴史はそれを気づかせてきたのだが、いまは素人一人ひとりが、そんなことに気づかず、論破の欲望をはびこらせ、集団で襲いかかる危険性を振り回している。のみならず、そうやって大変怖い「民主主義」が世界を破滅させることすら可能になっているのである。それは大国アメリカでさえ起きていることなのであるから、本当に怖いことに違いないのである。
 本書の指摘は、懐疑主義という冷静な眼差しを提言する、平和のためにもたいへん役立つものであると私は信じるが、そのためにも、読者である私たちが、それを世の常識とすべく、意見を言い続け、広めなくてはならないことだろう。その一人でありたいものである。




Takapan
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