『自然、文化、そして不平等』
トマ・ピケティ
村井章子訳
\1600+
2023.7.
ビジネス関係で一時非常に話題に上ったピケティであるが、私はそのとき読むことはなかった。専門外ということもあるし、難しい気がしたからだ。だが今回、薄手のものなので手に取ったところ、それは私の一方的な思い込みであったことが分かった。訳者の腕前であるのかもしれないが、論が実にスムーズで、根拠もしっかりしているために、抵抗なくすいすい読めるということに驚いた。
世界で名が知れたということで、日本のマスコミが熱くなったのが、本書の発行よりも10年近く前のことだったと思う。しかし飽きるのも早かったのか、その後は殆ど特集されなくなっているように見える。確かに、欧米の分析には、その経済学者としての認識が優れたものがあったかもしれないが、日本経済にはどうだったのか、疑問の声もある。しかし、本書も「国際比較と歴史の視点から」という副題が付けられているように、視野には日本も置かれている。中国の動向も検討されている。確かにフランスに身を置く以上、日本のことを穿って探究しているわけではないだろうが、日本でも、世界的な視野で考えていくようでなければなるまい。
本書は、2022年3月18日の講演録である。美術館で行われた講演の原稿を加筆訂正したものである、と最初に記している。講演会であるから、分かりやすいというのもあるかもしれない。
テーマの一番は、やはり「不平等」であるのだろう。もちろん「平等」であるべきだという理念が先行するための問いであるのだが、そのためにこそ不平等を問う。いったいそれは、自然からくるのか。文化によるものなのか。
平等な国として注目されるスウェーデンにしばしば注目の眼差しが向かうが、それとて不平等な国家であることから、この100年で変貌したというのだ。だから、自然条件だけで決まるものではない、として論をスタートする。もっと社会により、大きな影響を受けるものであるのだ。
ピケティの視線の先には、自然破壊の問題がずっと見えているようにも思える。当然、地球温暖化や二酸化炭素排出の問題がそこにはある。つまりは、多方面で報道される危機意識から、決して奇異なものをぶつけようとしているのではないらしいのだ。
経済学者としての力量は、やはりそのデータ性にある。たんなる思いつきで発言しているのでもないし、抽象的な議論をふっかけようとしているのでもない。所得格差についても、世界地図を色分けして示す。統計の用い方も重要で、データの条件をより適切なものにする必要があることも教えてくれる。資産をもつ人の割合にしても、ほんの一握りの人が膨大な資産をもち、国民の大部分が全くもっていないというところからくる、数字の大きさには騙されない目が必要なのである。
ジェンダー格差も検討される。アジア地域の低さに改めて驚く。日本だけではないが、日本が特別に低いことがそこに影響していることは間違いない。ピケティは、一つひとつの資料からあたりさわりのないコメントでまとめるようなことはしていないと思うが、その都度、今後検討すべき問題点、必要な着眼点というものを指摘してゆく。それでよいと思う。ひとは、口から出任せでも、何かスパッと言い切る者がいると、頭がよいように錯覚してしまうのだ。真に事態を見守る人は、単純な結論を言い切ることをためらうものだ。だが、世相はなかなかそれを理解しない。
もちろんフランスを軸にしていてよいと思うが、スウェーデンが引き合いに出されるのは、今後もまたこの国に注目すべきことを伝えているとしてよいだろうか。教育や医療に関する権利が守られているか。政治参加は平等と言えるか。そんなことを、読者は共に考えていくように促される。
累進課税の傾向が弱くなっていることも、データから明確に突きつけられた。というより、ものすごく激しい累進課税の時期が長くあったのだ。やはりデータというものは、確かなものを伝えるひとつの手段である。そのデータを、自分の有利になるように切り取って出してくる輩には十分気をつけないといけないのだが。
経済の話を長く続けた上で、講演は、最後に再び自然へ戻ってくる。自然破壊への深刻な状況を、やはり一定の資料を基にぶつけてくるのだ。しかし、それを政治的に利用しようとして、誰が悪いとかその国がどうだとか言っている様子は見えない。そして、自然破壊の問題は、経済学だけの問題ではなく、全人類的課題であるという、いわば当たり前の結論で締め括る。「問題を他人に丸投げしてはならない」という言葉は、経済学者としての責任を外れることでは、もちろんない。学的な複雑さを避けた形で、こうした講演録は成り立つのであるが、だからこそ、一般の私たちが受け止めなければならないことが、数多く問われているように思える。
ではそもそも「平等」とは何か。何が「不平等」であるのか。哲学的に問うべきそういう角度は、本書には少しもない。ただ、グローバルな視野は確かにある。その限定の中で、これを受けた者がまたその場で地道に何かを始め、その呼びかけを受けた全世界の閣僚や個人が、何かを具体的に始めなければならないことを、強く感じたのであった。

た
か
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