本

『視点という教養』

ホンとの本

『視点という教養』
深井龍之介・野村高文
イースト・プレス
\1600+
2022.6.

 タイトルの前に「世界の見方が変わる7つの対話」と置かれている。それから「教養」という漢字には「リベラルアーツ」とカナが振ってある。知的な情報の提供に勤しむ人と、音声プロデューサーという立場で各方面で活躍中の人とが、対談の上、その道のゲストを7人招き、それぞれの話を聞くという形式になっている。
 これがなかなか面白い。きっと読む人を退屈させないだろうと思う。いま大学などの研究の先端で何が行われているのか、についての刺激を受けることは間違いない。もちろん、それは特定のこのゲストの考えが紹介されていることになる。これがその分野での研究のすべてではない。だが、確実に、これまでのその分野と今の情況とは違うのだということを、読者は思い知らされることだろう。これをきっかけに、もっとその方面について知りたい、という気持ちが生まれることが期待できる。
 各章は、著者の2人の前口上としてのプロローグがあり、ゲストを入れての3人の鼎談となり、最後はまた2人だけでのエピローグで締められる。それが大変リアリティがあり、その話の意義づけについても、よいまとめになっていると思う。このリアルさが、本書の魅力のひとつであるはずである。
 なお、最初の章は、2人だけが対話し、本書の題にある「視点」という考え方と「リベラルアーツ」についての紹介を施している。また、「思考OS」という、本書の底流にあるひとつの世界観の捉え方をも説明している。パラダイムだとか、思考枠とかいろいろ捉えられてきた、時代の基本的な考えの基板のようなものを、現代コンピュータの用語としての「OS」を持ち出して説いているところがユニークである。但し、OSのように全部一度に総入れ替えやバージョンアップがデジタル式に行われるのではなくて、その地域や国といった領域においてもその転換は様々であり、もっとアナログ式に、グラデーションのように変わる側面もあるだろうから、ひとつの喩えとして心得ておくことでよいかと思う。それで本書の読み方が、リズムよくなるならば、それでよいのだ。
 さて、2章から8章まで、7人のゲストが、それぞれ魅力的にその分野について話してくれる。その内容は、どの方も実に巧い。そして、本書の意図に合う適切な解説をしてくれていると思う。
 物理学の北川拓也氏は、物理学者としての経験から、財団の経営者として、実用的な運用に勤しんでいるという。理論物理が実践的に社会に活かされる道と、しかし逆に、物理学が哲学を必要としていることが示された。
 文化人類学の飯嶋秀治氏は、フィールドワークの実際を興味深く教えてくれた。私たちはもっと自分自身を観察しなければならないことを思わされる。
 仏教学の松波龍源氏は、実験寺院というあり方で、新しい仏教のあり方を実践的に模索しているという。伝統仏教ではなく、最先端の未来的な寺院を探していることになるが、西洋哲学との関連を考えていることに驚き、また、それが必要であろうことを実感した。密教系の立場から、しかも哲学を横に置いての仏教の智慧は、十分聞くに値する。つまり、仏教はロジカルである、というテーゼを以て、その智慧を説くのである。
 歴史学は、本郷和人氏。歴史を学ぶというのはどういうことか、目から鱗が落ちるような指摘があった。歴史の史料をどのように扱うのが歴史学であるのか、根本的なところを教えてもらったような気がする。史料の間隙をどのように構築していくか、そこに歴史学の最大の魅力と貢献とがあるというのである。西洋の魔女狩りとの比較も交え、史料の真実を追究する話はわくわくした。
 宗教学の橋爪大三郎氏は、私にとっては馴染みのある人である。キリスト教思想の代表とするには、いかにもリベラルアーツというふうに思えるが、期待以上の鼎談となった。聖書の基本を説明する辺りは、私には不要なように思えるような先入観があったが、そんなことはなかった。自殺や離婚といったことを具体的に聖書と照らし合わせて述べた後、日本人がどうして聖書を理解するのが大変なのか、という点にも、ひとつの大切な光を当ててくれたように思う。神を見るか、人を見るか、という辺りで、空気が違うというのである。しかし、理性を用いてその日本が世界に貢献できる道はあるらしい。そのためには、キリスト教を理解する道をまず踏んでほしい、というからには、これは立派な伝道になっているのではないか、と私はちょっと穿って見てしまうのだった。
 教育学の鈴木寛氏は、通商産業省(当時)に入り、IT政策に関わった経歴をもつ。政治的な教育として、松下村塾を取り上げ、教育行政の内実を語ってくれていた。奨学金制度が日本はおかしい、という点は、もっと知られてよいと思った。
 最後は脳科学から、乾俊郎氏の登場。物質的にすべてを還元するのは1つの立場に過ぎないが、現代もてはやされているであろうこの脳科学の分野で、何が求められているのか、分かりやすく伝えてくれていることは間違いない。脳は行動の先を予測しているが、現実の知覚とそれができるだけ一致するというのが、言うなれば健全なあり方なのだろう。誤差は当然あるものだが、それが大きすぎると、精神的にダメージを受けることになるであろう。
 2人が最後に話している中に、膨大な知識の中のわずかも知り得ない自分を悲しく思うという意味のことがあったが、それでもなお歩き始め、体験すること、考えようとすること、そこに、生きる意義が納得できるひとつの可能性があるのではないか。まだまだ他の分野への関心も沸き立たせつつ、本書は本書で、十分な種蒔きができていると思うし、読者を十分楽しませてくれていると思う。
 決して専門的ではないけれども、知的好奇心は、きっと満たしてもらえるだろう。




Takapan
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