本

『現代思想の断層』

ホンとの本

『現代思想の断層』
徳永恂
岩波新書1205
\780+
2009.9.

 現代思想についての考察や紹介はたくさんあるが、これを「断層」として捉えるところがユニークであろうか。それは気を衒ったわけではなく、まさにそのことこそが、著者が構え、見つめ、指摘したいと思っていることであったのだ。
 サブタイトルに「「神なき時代」の模索」と記されている。現代思想は神を抜きにして展開する。これは、必ずしも「神は死んだ」ことを意味するとは限らない。神を論理の根拠に置くような演繹をとることなしに模索していくという試みであって、もはやそうしなければ、グローバルな視野で人間一般を扱うことができないし、説得力をもたないということなのだ。
 思想家毎に話を続けていく。一人の人物の格闘の様を概観することで、時代と思想を見つめていこうというのであろう。その際、人物と時代との対峙を浮き上がらせるために、キーワードを著者は用意している。
 マックス・ウェーバーと「価値の多神教」
 フロイトと「偶像禁止」
 ベンヤミンと「歴史の天使」
 アドルノと「故郷」の問題――ハイデガーとの対決  切り口がいい。焦点がはっきりすることで、受け止める側も心構えができる。以下、著者による「はじめに」における概観を紹介しよう。
 マックス・ウェーバーにとり、「現代は、最高価値が没落した後に論理必然性に到来する「価値の多神教」「神々の永遠の戦い」の時代であり、そういう分裂に耐え抜きつつ、「責任の倫理」をもって世界に立ち向かう勇気と知的誠実を、学問や政治に携わる者の「使命(ベルーフ)」としたのだった。」
 フロイトは「科学者として、信仰の対象よりは規範の命令者としての神に深い関心を抱き、三つの一神教を相対化することによって、超自我にコントロールされた人間的欲動を解放し、広義の「強迫神経症」からの快癒という形で「自然支配」の止揚を目指した。」
 ベンヤミンの「メシアニズムは、『カバラ』のユダヤ教神秘主義を発掘し、深化させたショーレムからすれば、「啓示なき救済」への希求として、完全には容認されなかったが、最晩年のホルクハイマーと同様に、やはりユダヤ教的伝統の中にいるというべきだろう。」
 アドルノについては、「美的・批判的人間として、もっとも宗教から遠いように見える」としながら、「救済という契機をもたない哲学の空虚さを指摘し、認識の光は救済の光よりもかすかだとしながらも、神なき時代にあって「偶像否定」の戒律をミニマ・モラリアとして守り抜いた。彼の激しい否定と批判の活動源は、そこにあったと言うべきだろう。」とまとめる。
 それはハイデガーとの対決であったとするのだが、ハイデガーは実はこの構想の中で重要な位置を占める。「ハイデガーにとって「神の死」は「存在の忘却」であり、主体の形而上学の系譜をさかのぼって、キリスト教以前、ソクラテス以前のギリシャにそれを想起する源泉を尋ねようとした。彼にとってギリシャとは、たんにキリスト教以前のものではなく、キリスト教を超え、その暗い影を明るくさせるものでなければならなかった。しかし故郷の森の明るみに、彼はどのような「存在」を見出したのだろうか。」
 ここで括弧付けであるが、著者はハイデガーの位置に重要な注釈を付けている。「本書では、ハイデガーについて主題的に論じてはいないが、各思想家を論じる際の背景として一貫して意識されている」というのである。
 それぞれの巨人が、神には目を瞑りながら、神を中心とした思考に背を向け、なんとか人間を説明する筋道をつけようと模索したのであるが、著者のスタンスは、そのどれもが結局挫折してしまったのだ、とする。その一つの現象が、こうした人々の主著とされるものが、まとまった姿で完結するようなことがなく、「未完」の形で終わったことであると言われると、ハッとさせられた。
 未完ということは、これから補完されていく、完全に近づいていくという期待がこめられている、という見方もありうる。さて、これらの試みは、神を抜きにしての、いわば恣意的な思想の展開と構築であった。背理法の考えだと、ある仮定から論理を展開して、そこに矛盾が生じたならば、その仮定が誤っていたのだということになる。果たしてこれらの潮流は、完成へと向かうことができるのであろうか。
 非情に癖のある、ハードな内容であるために、その方面に一定の把握がないと読みづらいだろうと思われる。私もこれらの思想家についての見聞は浅いので、よく分からない部分が多々あった。だが、「神」を問うことなしに、どこまで進めるのか、やはり懸念が残る。私の感覚からすれば、「神」のほうがすでに問いかけており、呼びかけている、信の事実がある故に、その呼びかけに背を向けて突き進むことには、無理があるのだ、ということになるのだが、それはすでに現代では「哲学」ではないということになってしまうのだろう。




Takapan
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