本

『思想としての3・11』

ホンとの本

『思想としての3・11』
河出書房新社編集部編
河出書房新社
\1600+
2011.6.

 書店で見かけて、愕然とした。知らなかった。筆者は多数集められているが、三段に分けて書かれた表紙の一段目には、鶴見俊輔・吉本隆明・中井久夫・木田元・山折哲雄といった名前が並んでいるのだ。
 震災から3か月。帯には「緊急刊行」と記されている。もちろん、まだあれこれ理屈を以て論じている時ではない。命の瀬戸際にいる人もいる。毎日の暮らしがままならぬ人もいるし、食料品も行き渡らないところがあるだろう。いわゆるライフラインも復旧の見通しがとれず、悲嘆に暮れた人々が限りなくいような情況である。
 だが、すべての人が現場に力を費やすわけではない。むしろ、後になって振り返れば穏やかになりかねない、憤りやその時に見た風景からくる熱情など、リアルタイムで目撃したこと、考えたこと、それを拾い上げて遺すのも、大切なことだ。恐らく、そういう観点から、編集されたのではないかと推測する。
 あるいはまた、特に原発問題については、これまでも警告を与えてきた人もいるし、警告を発さなかったことを悔やんでいるような人もいる。知識人は、伊達に知識人と呼ばれているわけではない。ここでは、社会的な復興というようなところではなく、タイトルにあるように「思想」としてこの震災を捉えるという、限定された範囲からではあるが、考える眼差しをひとつ提供しようとするものだ、と理解したい。
 冒頭には、佐々木中氏の「記念講演」が掲載されている。なかなか長い講演である。豊かな思想性を含んだもので、様々な思想家や文学者がそこに入ってくる。現実の震災について説くというよりは、正に「思想」として、砕かれた大地の中に根拠を見出して再建してゆく必要性などを明らかにしている。
 しかしこの後は、一人ひとりそう長くない文章が続く。吉本隆明氏の場合は、インタビューの様子が文字となっている。「今ここに自分があって、それを確かめなが歩みたい」という思いは、老思想家のさらなる前進を感じさせてくれた。
 中井久夫氏は、阪神淡路大震災でその精神医学を生かして人々の心を支えた。それだけに、震災ということについて、生々しい体験を踏まえた眼差しを有っているわけだが、救援の現場に寄り添った形で、振り絞るように綴ってくれた。神戸を知る人には、ここを熱く読んでみるとよいと思う。
 木田元氏は、哲学者らしく、技術と科学の関係について述べている。そして、議論が一定に落ち着くことは期待できないけれけども、たくさんの声が必要だという結びも重要である。山折哲雄氏はノアの箱舟の物語も持ち出して、私たちの考えるべき基盤を考えねばならないことを指摘している。
 その他の方々は、より実際の問題を取り扱うこともし、特に原発についての姿勢は厳しい。たとえ哲学的に論じようと、原発が如何に世界を破壊するものかを示そうとする。自然主義を問うたり、自然そのものの価値を考え直したり、特にその日本人の考えを暴こうとしたりもする。
 中には福島の現場からの声もあり、切実である。これはもう生々しい。一種のアナーキズムの実現を主張することもあるし、「気象哲学」というものの必要性を提言するものもあった。
 結論を、この本から出そうとするものではない。傾向や主義を揃えて提示するものでもない。ただ、震災直後に、思想家たちが頭に浮かべたことは何か。それを記録しただけである。さて、その後、私たちは何をどう考えているだろうか。彼らの言葉を、しょせん思いつきだ、と退けることができるのだろうか。あるいは、それをいまだ解決もできないばかりか、そういう問題があること自体に、気づかずにここまできたのだろうか。私が手に取ってのは、震災から13年経ったときである。本書を誰かが手にしたとき、その時点でよいのだが、果たして震災とどう向き合っているだろうか。それは、それぞれの人の手にかかっている。それぞれの時代の運命を、担っている。本書はその意味で、その都度日の目を見てよいと思う。




Takapan
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