本

『失敗の科学』

ホンとの本

『失敗の科学』
マシュー・サイド
有枝春訳
ディスカヴァー・トゥエンティワン
\1900+
2016.12.

 私は電子書籍として読んだが、ここでは普通の書籍の発行や価格を提示しておく。
 著者はイギリスの元卓球代表選手。アジアの血を一部引いている。そのため、本書でも日本やアジアのことが比較として登場する。欧米ではこうだが、アジアだと、というような流れもあり、とくに日本では失敗を恐れる文化がある、というような書き方もしている。私たちとしてはそのまま信用してよいかどうか分からないが、起業への情熱の点で、統計の数字は確かにそうなのだろう。
 人気作家だという。書き方も巧い。ベストセラーだというふれこみである。タイトルは日本語で大きく「失敗の科学」と掲げられているが、その下にある副題的なもの「失敗から学習する組織、学習できない組織」というのが、本書の主張のメインであり、具体的な点であろうかと思う。
 失敗を隠したがためにミスが続く。ではどうして失敗を隠すのか。それは、失敗をした者が全責任を負わされるからである。それくらいなら、失敗を隠し通したほうが身のためだ、というわけだ。確かに、単純に本人がとんでもないことをやらかした、というのであれば、それも人間的に分からなくもない。だが、何かしら組織のほうに、あるいはプログラムのほうに問題があるかもしれない。その勤務態勢では、疲労が重なるのかもしれないし、構造的にミスを誘発する要因があるのかもしれない。勤務構造を改善するという発想をとるほうが、組織のためにも、実は有益なはずである。本書は、そういうところを突いている。
 最初は病院に関する話題だ。これは切実である。医療ミスのために、人が死ぬのである。簡単なオペのように思われていたが、数分後、命が失われる。しかし病院はその原因解明をしようとはしないし、遺族に説明も大してやらない。実は欧米では、この手の医療ミスが非常に多いのだという。
 さらに話題は、航空機事故に続く。ある大事故がどのようにして起こったか、分かる限りを再現して説明するのだが、いったい「誰が悪いのか」を探すのが得策なのだろうか。著者はもちろんそうではない、と言う。ただ、航空機事故は報道的にも大々的になるし、いかにも危険だという印象を与えかねないが、医療事故に比べると比較にならないくらい少ないのだとも述べている。それは、航空機事故に関しては、その失敗の原因を徹底的に調査するからなのだ。誰かに責任をかぶせておしまい、とするようなことではなく、だからまた、これからどうすればよいのか、を探究することによって、再発を防ぐ気構えに満ちているというのだ。
 タイトルに「科学」と銘打っているが故に、さしあたり人間が対抗して考えている対応策のような眼差しを、確かに教えてくれる。「クローズド・ループ現象」などというと、失敗や欠陥に関する情報が閉じられているが故に、それを未然に防ぐような進展的な方向に向かわないことをいうのだという。これらは、必ずしも「科学」とは呼べないかもしれないから、タイトルが「科学」でよいのかどうか、それは未決としておこう。ただ、一定の呼び名は、私たちの考えを一定の枠に収め、理解を促すはずだが、本書が強調したい事柄については、いろいろな名前の考え方を受け止めていくのがよいであろう。
 幾度も例示されるのは「瀉血」である。血を抜き流すことによって治療ができるという、かつて存在した医療常識なのであるが、それで治った者が確かに一定数いたであろうことから、そんなことをしてはならない患者に対しても、有効だと一様に施術したのである。医療技術や知識が発達した現代では考えられないことだが、しかし現代の医療についても、私たちは心底正しいと思いこんでいる、あるいは思いこまされている治療法が、後の世からすれば、あんなことをよくぞやっていたものだ、と思われないという保証はどこにもない。いまを生きる私たちは私たちで、絶えずこの「失敗」を真実だと思いこまないような眼差しをもちたいものだ。
 このことは、本書発行の後に世界を襲ったパンデミックである、新型コロナウィルス感染症についても、同様に言えることなのであった。どれほどのデマが飛び交い、それを信じる人が現れたことか。どれほどの思い込みからのナンセンスな治療や防御に対する反対運動が渦巻いたことか。それは、日本政府が、経済を回すために対応義務を引き下げた後に、とたんにマスクを外して薬局に来たり、電車に乗り込んだりしている様子を見ても、はっきり言えることである。結局、科学など、信用しないという者が、世の中にはいくらでもいるのである。自分の感情と思い込みで、事の真実が果たされると考えている。
 その意味では、私たちは本書の提言するような、「失敗」を活かす動きなど、全くできそうにないのだ、と言わなければならないかもしれないであろう。
 事故だけを本書は扱うのではない。犯罪検挙についてもそうだし、一流の科学者でさえその罠に陥るのだということも指摘する。企業における商品開発についても言えることだし、学習や訓練につても当然そうなのだ。
 著者自身がスポーツ選手だったせいもあるだろうが、スポーツについての具体例は生き生きと描かれている。一流のプレイヤーは、失敗の方を挙げて自分の選手活動を説くという事例である。強打者でも半分以上はアウトになっている。無数の失敗があるからこそ、成功プレイがある。サッカーのベッカム選手、恐ろしいほどの練習量は、読んでいて冷や汗が出てくるほどだった。
 では具体的に、どういうことに気をつければ失敗を次に活かすことができるのか。本書には、著者なりのまとめ方として、そういう知恵も収めてあるから、気になる方はご覧になるといい。たとえば避けるべきこととして、「期待・非難・パニック・犯人探し・無実の人を処罰・無関係な人を報奨」という段階が、ある組織コンサルタントの考えとして挙げてある。これだけでも役立ちそうである。こうした知恵は、組織全般についても役立つだろうし、個人的にも取り入れればよいことはたくさんある。
 キリスト教会にも、ぜひこうした知恵を受け止めたらよいのではないか、と私は切に思うのだが、どうやら、教会は神の教えを受けているのだから、そんな知恵など必要なく、自分たちは世とは違う特別なのだ、というように思いこんでいる向きもあるような気がする。それ自体が、失敗を繰り返す最低の対応であるということが、本書にはせっかく書かれてあるのに、である。




Takapan
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