『新生』
ダンテ
平川祐弘訳
河出文庫
\720+
2015.7.
2012年に単行本として出版されたものである。30頁以上にわたり、訳者の「解説」が付せられている。翻訳は、20世紀初頭に4人、1960年頃に3人が出版しており、そこから半世紀を空けての新しい訳である。翻訳の良し悪しや意義などについて知るところはないのだが、現代的で読みやすいことは間違いない。旧い訳では、原文の詩のニュアンスをどうにかして少しでも再現しようとして、テクニックを凝らしたものもあったそうだ。もちろん、ソネットという14行詩が次々と目の前に現れる作品であるから、本書でも、14行で、しかも4;4;3;3と分かれる形で示してあるのは当然と言えば当然ではあるだろうし、随所に苦労をして訳としたところがよく伝わってくる。本書には、章毎の「訳注」がたいへん充実している。その分量の多さのために、200頁を超えるほどにまで膨らんだ、とも言える。
ダンテと言えばもちろん『神曲』である。壮大な地獄・煉獄・天国への旅を描く長大な物語、否叙事詩は、人類の宝と言ってよいであろう。そこでも、ベアトリーチェという女性が、神聖視されて描かれていた。24歳で夭逝したこの永遠の少女は、晩年のダンテにとっても、生き生きと描かれる憧れのようなものであったようだ。
これに対して『新生』は、まだ若い時分の執筆である。ここには31の詩が置かれ、それらの詩の解説がなされている、と見てよい文章が連ねられている。その途中で、ベアトリーチェをこの世から失う。絶望的な悲しみの中でも、ますます「愛」というものが精神の中で輝く様が、書き綴られてゆく。やはりこれが、『神曲』の描写として結実されてゆくのだろうとは思うが、若さの中で、哲学や、「愛」という名の神との対話めいた交わりが生き生きと描かれている。
もちろん文学研究者からすれば、様々な謎が隠れており、それを解き明かすべく、研究がなされているわけであり、そうした背景が「訳注」に多々言及されているので、この文庫本は非常に読み応えがある。ただ文学の翻訳として読むだけではなく、当時の歴史的背景や、フランス語の意味や特徴を学ぶことがてきるだろう。また、先人の訳も比較検討される場合があり、これもまた大変勉強になる。
特に第35章では、「貴く、若き、いとも美しい婦人」についての訳注があるが、これは多くの議論があるという。確かに私ですら、スッと読んでいる中で、これは何だ、と思った。あれほど情熱的に憧れ愛し慕っていたベアトリーチェが亡くなって一年後、この女性が突然登場するのである。
しかし、詩の解説が、私たちがいま感じるような叙述であるとは限らない。解説自体が創作であり詩そのものであるのかもしれないし、極めて象徴的に、酔い痴れるほどの描写で飾り続けているのかもしれないのである。だから、この女性は「哲学」のアレゴリーであるのではないか、という説があるのだそうだが、訳者はそれを退けている。このように、学問的に有用な解説が随所に挟まれており、その故に私は学びになる、と言ったのである。
また、聖書を知らなければ気づかないような内容については、聖書を引用しその意味を伝えることにより、読者の理解を助けている。キリスト者には常識かもしれなくても、一般読者に対しては、細々とした聖書に関わる表現は、指摘してもらえると助かることであろう。日本語訳の場合、この配慮がどうしても必要になる。
だが、私は最後の42章の、最後の最後で、ぶっ飛んでしまった。ネタバレすることになるかもしれないが、言ってしまおう。末尾の語は「世々祝福される者」という言葉で原文が終わるのであるが、これは、当時宗教的な文章の末尾に添えられていた一種の決まり文句のようなものなのだという。その意味もこめてか、西洋語の本では、それに加えて「アーメン」が付け加えられていることがあるのだという。さて、本書の訳者も、その空気を付け加えることにした。しかし、「アーメン」ではなかった。なんと「合掌」と結んだのである。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド