本

『死のただ中にある命』

ホンとの本

『死のただ中にある命』
近藤勝彦
教文館
\1900+
2019.8.

 ここには25の説教が集められている。サブタイトルは「預言者エリヤとエレミヤ」と付いており、それぞれ10、15の説教がここにある。
 こうした説教集もだが、神学について、また教会と伝道についてなど、多くの著書のある著者であるが、私はこれが初めてじっくり読んだ本であった。もしかすると、新約に関するものを味わったらまた違う印象があるのかもしれないが、私はこの大好きな2人の預言者に付き添う説教というものが非常に嬉しかった。この2人については個人的に詳しく調べている。私ももし語れと言われたら、どこから語ろうかと楽しみにできる預言者である。
 旧約であるが、これがキリストにどう繋がるかというところが注目点ともなる。それはもちろんあるにはあるだろう。しかし、出来る限り、旧約の中でひとつのメッセージができるようでありたいと私は考えている。旧約の出来事を早いとこ片付けて、すぐに新約の内容に移り語り続けるという説教がよくあるが、私は、旧約をただの道具にするような使い方は好まない。そこにある真実というものを大切にしたいし、旧約の時代に神と向き合った人の信仰から多くのことを学びたいと考えているからだ。その点、本書の説教は、旧約聖書をきちんと読み、専門的に押さえるところもたっぷり示した上で、そこに命のメッセージをこめているという味わい方ができるのが好ましい。旧約聖書から命のメッセージができるというタイトルの動機そのものが、非常によいと思うのだ。
 聖書箇所も冒頭にきちんと示してあるので、他に聖書を横に置いて調べるようなことを学びたいせずとも、そのまま読んで説教を聴くような体験をすることも可能だ。この2人の預言者は、命を狙われ、死を覚悟するような体験をした上で、生かされている。エリヤはさてどうなったのか説明はつけがたいが、エレミヤもその意味ではどうなったのか分からない。しかし、使命を全うするまで生かされ続けたのは事実である。このスリルは、神との向き合い方による。しかも、神に抵抗するなど、必ずしも従順というわけでもない。エリヤは命をとってくれと神に懇願し、エレミヤももうどうにでもしてくれと開き直ったことがあった。それは不信仰などというレベルの問題ではない。少なくとも神のほうを向いている以上、彼らは神との関係の中にある。関係続行中の中での叫びであり、また神のほうからの取扱いがある。こうした点をもちろんこの説教はきちんと押さえており、私たちに必要なメッセージがどこから切り取っても溢れてくるように感じる。
 一つひとつのメッセージは短い。礼拝説教がこれだけで終わったのかどうか定かではないが、これをゆっくり話すというのであれば、そこそこの説教となったであろう。それは、もちろん旧約をそのまま読み取るという姿勢に基づくのだが、それが現在の私たちにどう呼びかけてくるか、私たちもまた一人の預言者として彼らに続く体験をすることが望まれているのではないかと感じる。いまの教会の姿に照らし合わせることもあり、多角的に読むことも可能だ。短いけれども、厚みのある説教となっている。
 原語の用法や意味とその語が他の個所でどのような意味で使われているかなどを紹介するのは、さすが学者でもある説教者である。説得の度合いが増す。文化的背景も鑑みつつ、私たちの等身大の人生観にも付き合ってくれるし、引き締まった説教としては、なんと贅沢な効果をもたらすものとなっているものだろうと、妬ましいほどである。いや、それは語弊があろう。こうしたメッセージをすることで、会衆の一人ひとりは生かされていくに違いない。他の教会も眠りこけないで、これらのメッセージを受けてほしい、というような意気込みを私は密かに感じるのであるが、どうだろう。著者はそんなことをするものではない、と謙遜に仰るかもしれないが、私はそのように受け止めたい。目を覚ましていよ、命懸けで福音を語り、福音に生かされよ、その命をここに与えよう、というような力強い思いを各頁から感じるものである。私たちは、これらの言葉に生かされるし、またこの命を次の誰かに伝えようという勇気を注がれた気持ちになる。
 エリヤとエレミヤについて、いくらかでも旧約聖書を読んでいくらかでも掴んだならば、本性を深く体験できるだろうと思う。読むと、何やら血が騒ぐような効果があるような気がしてならないのだが、だからまた多くの人に読まれてほしい説教集であるとお薦めしたいと思う。




Takapan
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