本

『信仰・希望・愛』

ホンとの本

『信仰・希望・愛』
ブルンナー
熊沢義宣訳
新教出版社
\1000+
2000.7.

 元の本は1957年に発行されていたが、2000年に復刊されたという書かれ方であった。新教新書という薄い本ではあるが、読み甲斐があった。
 エミール・ブルンナーは、1889年に生まれ、1966年に没したスイスの神学者である。日本が戦争に走っていったのは福音が届かなかったからだという思いからだろうか、日本へ来て国際基督教大学で教鞭を執った。一時は永住をも希望していたともいう。プロテスタントの福音主義的な信仰には同意せず、しかしまたいわゆる自由主義神学とも距離をとったように見える。私にとっては何よりも「出会い」というキーワードによる信仰の姿勢に共感するものがあった。
 本書でも、その「出会い」という言葉は幾度も出てくる。また、それ以上に、実存主義というものを大切に考えていることがよく現れていた。本書は、アメリカでの神学校での講義に基づくものであるが、ブルンナーの思想の一面を分かりやすく説き明かしたようなものになっているのだという。この実存主義という点については、もうひとつまた別の講義であり、これは日本でのものであるという。最後に自身の人生について語るようなものもまた、日本の箱根での講演のものであるそうだ。その意味では、日本にいる私たちだからこそ、味わえる一冊となっていると言えるのかもしれない。
 信仰・希望・愛というのは、パウロによるコリントの教会への手紙にある印象的な三つの大切なことである。ブルンナーはこれを、過去・未来・現在という時制の中で捉えることをして提言する。それは、この信仰生活における大きな項目について、案外これまでの神学がまともに取り上げていなかったからであるという。
 そのとき、キリストの十字架を、神の愛が人間と出会う点であるという中心を外すことはない。但しその人間とは、自ら罪ある者として自覚する人間でなければならず、そうした信仰を伴っていなければならないことは言うまでもない。そのキリストは、私たち人間の歴史の中に入ってきた、これをも強調する。歴史の中の現実であったということが、キリスト教の特別な点であることを見逃すなというわけである。
 こうして見ると、これは神学的な講演であると共に、礼拝説教のような趣で捉えてよいのだというふうに思えてくる。近代以降の様々な哲学的思想や、それに揺るがされた信仰の捉え方などを逐一振り返りながら、そうではない、とブルンナーはその都度叫んでいく。一つひとつの思想背景や根拠などをきちんと押えているからこそ、それらには説得力があるし、それと区別される形で著者による熱意が露わになってくる。確かにこれは、説教の如くに受け止めてよい性質のものだと理解したい。
 だから、メッセージは私たちの生き方に直に関わってくる。キリストがどのようにして、私の過去、将来、そして現在に関わるのかということが問われているのであり、私たちが問わなければならないということである。
 アガペーとエロスについては、一時よりは今は対比することがなくなってきた。必ずしもアガペーという語が決定的な使い分けをされていないことや、聖書そのものにエロスの語がないことも相俟って、私たちは公式的なこの理解を強調しすぎないほうがよいとされるようになったのである。だが、やはりそれは一つの指標になることであろう。ここでもそれが分かりやすく説かれている。私たちは、自分の中に閉じこもることなく、また過去に、時に将来に囚われることなく、いまここにおける愛の要請に心を向けたいと願う。それは、時間の制約の中にあるにも関わらず、神が共にいる故に、永遠の生命をすでに経験していることになるであろう、とブルンナーは励まします。信仰と希望と愛が、一つになっていく瞬間です。ここに一つの感動を覚えることが、私たちに与えられる大きな恵みとなるようでありたいと思った。
 本書は小さな本ではあるが、粋な計らいがなされている。神学校などを対象とした講義には、当然既知であろうと見なされた、聖書の知識や哲学者、西洋思想などがぽんぽんと飛び出してくる。読者の中には、必ずしもそうしたことに通じているわけではない人も少なからずいるであろうことを配慮して、段落毎に、項目についての短いが適切な注釈がよく入れられているのである。読者は哲学や神学者などについて詳しい知識がなくとも、最低限のことはその場で与えられることができて、安心して読めるはずである。これは訳者の心意気である。目を通したが、短い中で必要なことが適切に解説してあるように私には見えた。訳者の力量が、こういうところで発揮されていると思う。
 時代的な限界はあるかもしれないが、決していまなお古びていないものをここに見いだすことはできるのではないか。聖書が変わらないものを伝え、導いているのならば、1950年代に聖書から得られた恵みの思想が、そんなに過去のものになってしまうはずはないのだろうと思う。少し知的なところから信仰を考えたい人には、今なおお薦めできるのではないかと感じた。




Takapan
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