『精選 神学大全 1 徳論』
トマス・アクィナス
稲垣良典・山本芳久訳
岩波文庫
\1500+
2023.7.
西洋中世哲学並びに神学の金字塔、トマス・アクィナスの『神学大全』は、堂々たる姿で全集が組まれている。とても素人には手が出ない水準であると共に、手が出ない価格である。そのため、と言い訳を振っておくが、原典を、日本語においてすら、私も見たことがなかった。
それなりに人間味のある巨人であることは聞いている。だが、繰り返すが、著作を読んだことはなかった。読む機会に恵まれなかった、とお茶を濁しておこうか。
本書は、「神学大全」第2部のまた第1部の第49問題から第66問題までを収めている。全集から「徳論」という観点から選び出して、文庫とした。実に、この著作が文庫になるのは初めてなのだという。そういう意義が大きいものだろうと思う。「解説」では、あの岩波文庫でさえ、というようなニュアンスの挨拶がなされていたが、確かに「神学大全」を文庫にするならば、もちろんとても全巻出すことは不可能である。しかし、重要なところだけでもいい、読みたい読者のために、手許に置ける形で出版するならば、文化のために貢献することは間違いない。今回、稲垣良典氏という、トマス・アクィナス研究の第一人者の訳を以て、しかも重要であり、なおかつ読者がいくらかでも親しみながら読み進めることができる部分を、全体のごくわずかでありながら、形にしたというわけである。
もとより、トマス・アクィナスの哲学や神学について批評などできるような者ではない。世の中には今回の企画を揶揄するような者もいるが、世の中に問いかけるということそのものについては、とやかく口出しをするものではないだろう。後は学問的に、論議するとよい。
というわけで、記念すべき第一巻が、「習慣」というところからスタートし、「愛徳」のほうに流れる「徳論」でまとまっていることを、まずはありがたく受け止めておくことにしたい。
時代も文化も異なる書物の場合、困難を窮めるのは、しばしば「訳語」である。いま私たちが使う言葉で訳すよりほかないのだが、それだと読者が想定する対象やイメージが、著者のそれとはずいぶんずれてしまう、ということが十分起こり得ることになる。それはこの「習慣」がまず、起こしかねない。詳しくはその道のプロの方の手による解説をお読み戴きたいが、ラテン語で「ハビトゥス」というように発音するであろうこの言葉は、私たちが思い描く「習慣」とはまるで異なるものである。「人間の行為の原理として、能力と行為を結びつけるあるもの」であるとされながらも、「人間本性」に深く関わるところのものであり、いまの私たちからすれば「倫理」とでも呼んでおいたほうが、文章は読みやすくなるのかもしれない語である。このことを議論するだけで、大きな本が1冊書けるほどの概念なのである。しかし、それを本書で稲垣氏は「習慣」と訳し通した。それは、むしろ私たちの使うのと同じ言葉としての「習慣」に、このトマスの考え方を盛り込んでいってもらいたい、とでも言いたいかのように見える。
そうした背景について、本書は丁寧な訳註が入れてある。本巻の場合は、訳者である稲垣良典氏の手による註である。そこには、様々な事情の背景と、トマス独自の考え、とくにアリストテレスの中にそのことは見られない、というような疑念など、たくさんの情報が詰まっている。そして、訳語や概念についての解説も、そこにある。読者は、面倒であるかもしれないが、訳註の頁にも附箋か何かを付けておき、しばしば本文とそことを往復するのがよい、とお薦めしておきたい。
トマスの議論には、形式がある。それも解説には書かれているが、それは本文を読めば誰でもすぐに分かる。トマスからすれば、いわばアンチテーゼにあたる主張がまず提示され、三つの理由が施される。それに対して、問題点を、アリストテレスをはじめ、教父その他の文書から挙げる。そして、「私は答える」として、自分の説をテーゼとして提示し、巧みに論ずるのである。そして、最初の三つの理由に対して反論を展開して終わる、というわけである。
このような議論については、使う言葉の「概念」というものが重要であるように私は感じている。どういう概念であるか、その定義次第では、議論などどうにでもなる、というのが極端に言えば私の考え方である。そのため、トマスの議論が論理的に成立しているのかどうか、などといったことについては、私は学ぶつもりはなかった。また、学ぶ能力もなかった。ただ、このような形式でトマスが聖書を、アリストテレスとうまく重ね合わせて議論していくというスタイルを、心地よく楽しんでいただけ、と言ってもよいだろうと思う。
私のような無知な凡人でさえ、楽しめるのだ。知識のある優秀な方々は、本書をきっともっと楽しめるだろうと思われる。トマス・アクィナスという人の思考の旅に、少しばかり同行してみる趣味というものが、案外多くの人の気に入るものとなるかもしれないと思う。

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