本

『神学・政治論(上)(下)』

ホンとの本

『神学・政治論(上)(下)』
スピノザ
吉田量彦訳
光文社古典新訳文庫
\1300+,\1200
2014.5.

 これまで読んだことがなかったが、國分功一郎氏の『スピノザ』によい紹介がしてあったので、読みたくなった。すると、これは旧約聖書の非常に現代的な視点による解釈であることがよく分かった。これはキリスト者、つまり聖書を探究することの好きな信徒は、ぜひ読むべきである。
 逐語訳のおかしさなどが、17世紀にもう完膚なきほどに叩きのめされているのだ。しかも、スピノザはヘブライ後の文法書を著している。ヘブライ後で聖書を読み、それで実に細かなところまで挙げて、正典批判はもちろんのこと、文献批判をやっている。
 確かにこれでは、当時宗教的理由で干されるわけだ。この本をここまで読む以前は、スピノザがどうしてあれほどに毛嫌いされたのか、そしてヨーロッパ哲学思想の中心から完全に外されてしまっていたのか、よく分かった。これまでスピノザのこの宗教においての、しかも旧約聖書についての研究が、どうして表立って取り上げられてこなかったのだろう。これから読んでいけば、私はスピノザという人の心の中が、すうっと入ってくることが分かった。
 現代のリベラルな神学者たちが、支持者に本を好きなだけ買ってもらい、立場も生活も護られながら、時流に乗って楽しそうに聖書を操っていることがあるが、スピノザは自分の社会的地位も何もかも失ってなお、レンズを磨きながら(それは貧乏だという意味ではない)、匿名で本をやっと書き、孤独なままに単独でそれよりも凄いことをしていたのである。しかも、スピノザ自身には強い信仰があった。聖書を文字通りに真理だということを棄ててしても、なおそこに強い信仰があることが、本文から滲み出てくるのが不思議である。果たして現代のリベラルな神学者たちが、群をつくり、自分には自分の信仰がある、などと言っているのが、このスピノザに優るケースがあるであろうか。聖書学の発展や考古学的な資料から、現代的な解釈が裏打ちされることがあるが、スピノザは、写本の問題も取り上げつつ、聖書そのものにしがみつきながら、それの読み方を、かなり適切に示すのである。私は、スピノザに軍配を上げる。
 スピノザ自身は、国家権力が一定の宗教思想を以て、思想の自由を認めないということが如何に馬鹿げているか、それを言いたいものであるように見える。自身が、若くしてユダヤ教社会から弾き出されたことは、あまり強調されないが、彼にとり大きなトラウマとなったのではないだろうか。まるで、そんなことにもめげないで自分の道を貫いた、というように描かれがちだが、そうとう根に持っていたに違いないと私は想像する。というのは、私自身がそのような体験をもつからだ。そこにこだわり、それを軸にして、自分の態度を決めていく。否、決められていくことすら覚える。もちろんスピノザを、私如きの小さな者と同じだ、などと言いたいわけではないが、私には、スピノザのこだわりのようなものが、少し分かるような気がするのだ。
 ただ、解説などを見ると、スピノザには良い友人が何人もいた。結局自分が出版のできない立場になり、ある意味で絶望の中で死んだのであったが、友人たちが強力して、その原稿を本にしている。その本もまた出版禁止になるなどもあり、世に知られることがずっとないままであったが、何百年か後に、その思想が認められるようになった。ということは、どこかにそれは保存されていたのだ。受け継がれていたのだ。誰かが、これは大切な思想であるという、遺してきたのだ。すると、ようやく時代がスピノザに追いついてきた。時代が、スピノザを理解できるようになってきたのである。
 本書は、実に細やかな聖書解釈を展開している。聖書を学ぶという意味からも、なかなか優れていると思う。考古学的な発見や、神学の発展があり、スピノザがここで述べていることが今では改められていくべき、ということもあるのだが、どうしてなかなかその理屈は筋が通っており、聖書の読み方としても大いに学ぶことができると私は考えている。すべてそうだ、と思い込んではいけないが、大いに参考にしてよいし、問題意識の契機として用いることができると感じるのである。
 自由に哲学できる。先ほども触れたが、時代がスピノザに追いついてきた。だがスピノザは、ただ自由にすればよい、としたのではない。自由を、善きことに用いるようにと願っているはずであるし、神や愛ということが、人格的なところには求められていないかもしれないけれど、やはり聖書とその神を、重んじていることには違いない。案外、現代のクリスチャンとしても、これは見逃してはならない宝物であるのかもしれない。
 なお、「解説」も「訳者あとがき」も秀逸である。とくに後者において、日本が戦争に走って行った時代に、畠中尚志氏により、本書以外の唯一の訳書が出版されたことに、多い敬服の意を示しているのは、感動した。本書が非難している宗教とは異なるものの、神道思想を強要して国を破滅に追い込んでいったことは、確かにスピノザの批判が当てはまるであろう。
 とみかく、畠中氏に敬意を表しつつ、いまの時代の言葉での訳書がこのようにできたことを、嬉しく思う。




Takapan
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