本

『シン読解力』

ホンとの本

『シン読解力』
新井紀子
東洋経済新報社
\1800+
2025.2.

 新井紀子氏の近年の一般書は、多く読ませて戴いている。また新しいのが2025年に出た。言おうとしていることはだいたい分かってきたので、もういいかな、と思いつつも、目の前にあれば手に取ってしまう。
 結果、やはり新たな展開があると思った。それは、RST(リーディングスキルテスト)の実際の使用が拡大している中で、その利用の結果というデータが、いっそう明確になってきたことだ。
 これまでの著書では、読者に直にRSTを出題してみて、いわばテストの見本を体験させて、読むのって難しいでしょう、と思い知らせるような側面が目立っていた。また、場合によってはAI開発の内側の姿とその意味を見せてくれるようなところもあった。だが今回、AIはグッと私たちに身近なものとして、殆ど触れるようなものになってきた。具体的に、チャットGPIを扱ったことのある人は格段に増えたため、まずそのチャットGPIの学習の実態を告げ、シンギュラリティへの甘い期待を殺ぐところから始まった。そして、「外れ値」というものを分かりやすく示しているが、これは本書の中で時折顔を出す概念となる。
 続いて、RSTの意義を改めて提示し、「学教教育」という場での関わりを説いてゆく。私も子どもたちによく言うのだが、「もっと、ちゃんと、しっかり読みなさい」という、大人の圧力が、如何に無意味かを、本書も示してくれる。本書は専ら読解のほうに傾いているから、教育現場のことに脱線はしないのだが、現場として私は、「読むこと」は「書くこと」だ、と教えている。ただ目で読んで、考えに走ることを戒めるのである。以前だったら、下線を引く程度だっただろうが、それではいまは足りない。波線などもよいが、四角などで囲むことが必要である。そして、囲まれた言葉同士を、矢印などで結びつける。概念同士を関係づけるのである。科目によっては表やグラフなど、他にも現場では例示するが、とにかく「書くこと」を伴ってこそ、「よく読んだこと」になる、という考え方を学んでもらうのである。それがあって初めて、教えることが伝わってゆくし、自分で考える基礎ができてゆくと私は考えている。
 さて、本書に戻るが、その学習の現場において、実は「学習言語」なるものが存在することを明らかにする。これも私はよく分かる。
 それからいよいよ「シン読解力」の解説と、そのトレーニング法などが、具体的に述べられてゆく。そもそもその「シン読解力」という、タイトルにもなっている言葉は何のことなのか。これまでの著者で、私たちに必要な読解力については、著者なりに説明をしてきたつもりであったが、マスコミや世間で知られてゆく中で、どうもそれが、著者側が考えているのとは、違う色合いを有するようになっていったことに、危惧を抱いていたようなのである。そこで、「新しい酒は、新しい革袋に盛れ」というように、新約聖書の言葉を、必ずしも正確ではない形で引用しながらも(革袋に入れよ、ならよかった)、専ら「RSTが測る力」のことを「シン読解力」と呼ぶことにした、と定義している(p83)。
 ということは、要するに本書は、RSTの説明であり、言うなれば宣伝だ、ということになる。
 最後に、学生相手というよりも、社会人相手に、「新聞が読めない大人たち」という章がある。新井紀子氏の本にあまり馴染みがない大人の読者は、ここから読んでもよいかもしれない。まず、テストを受けてみるのだ。ここに並ぶのは、正解率が低いものが幾つもあるなどの背景があって、実際にRSTには含めなかったというが、調査をすると、大人が、新聞にあるような文章を正しく読んでいない、ということを思い知らされるはずである。私も、電車の中で慌てて読んでいると、最初の方で間違ってしまった。そこで、これはいかんと思い、帰宅して注意深く読むと、さすがに正解するばかりとなったが、油断するといけないことはよく分かった。
 巻末に、横書きで逆向きに読むようにされている頁が50頁ある。ここには、より具体的に、大人に向けて、また子どもに向けて、どのように指導するとよいのか、説明されている。特に子どもに向けての部分は、学習塾教師にも役立ちそうである。私のしていることにも近いと思うので、いっそうこうしたところを強調すればよい、という力を受けたような気がする。
 会社の中でも、このテストを使うようにアピールしているが、人柄はともかく、社内文書がおかしい現状をいぶかるよりも、なぜ文章が読めず、書けないのか、できるだけ客観的に方法で判断することができるというこのRSTが、人事にも役立つであろう、ということを、力をこめて説明している。テストされる社員のほうには気の毒かもしれないが、より適材適所の仕事が与えられるかもしれない。それはまた、会社の、そして地方や国の、経済能力にも利益を与えることであろう、と予言している。
 福島の相馬市の例は、ある意味で清々しい。ふつう、子どもたちにこのテストをさせるにしても、教師の方はやりたがらないものだ。自分の能力が明らかにされるのを嫌うものである。だが、相馬市では、教師も体験し、その体験を活かして子どもたちを指導するようになったという。すると、学力の面でも全国を相手にぐんぐん成長した結果が現れた、というのである。
 読解力は、社会的に必要な時代である。それにより、国益にも影響するだろうというのも嘘ではないと思う。だが、そもそも文字を読むということそのものは、ごくごく最近の人類の身に付けたことであって、百年前でさえ、文字を読めるということは当たり前ではなかったし、いまも地域によってはそうである。識字障害なとと呼ばれほうがどうかすると迷惑なのであって、文字を読んだり書いたりすることができないと人間ではない、というように聞こえる言い方は、私はしたくないと思う。
 表紙にある副題の「学力と人生を決めるもうひとつの読み方」というのが、この「シン読解力」のことであることは理解できるが、「人生」と言ってしまうのもなんだかなあ、と私は思った。本書が「人生」を掲げるとき、そのように(というのは何を指しているかはご理解戴いていると信じて言うが)聞こえる前提を打ち出してしまったようなのが、私の本音としては残念である。




Takapan
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