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『シンプルな英語』

ホンとの本

『シンプルな英語』
中山裕木子
講談社現代新書2635
\1000+
2021.9.

 英語ができるようになる、といった本に、私たちはどれほど騙されてきたことだろう。確かにその著者は、その方法で英語がうまくなったかもしれない。だが、それは万人のためのものではなかった。これだけ学校で英語を勉強してきたのだから、何かちょっとしたきっかけで、すべての努力が目覚めて、喋ることができるようになるかもしれない、という夢みたいな思いで、庶民は、こんどこそ、と本を買う。
 私はそれは諦めているが、曲がりなりにも子どもたちに英語の指導をしなければならない事情がある。自分なりに会得した知識や考え方を子どもたちに提供しているが、それも相手次第だ。もっと適切な紹介の仕方がないだろうか、という点から、よい指導の観点については、常に模索しているのである。私が頑固に、これで英語ができる、といった決定版をもっているわけではないということだ。
 さて、タイトルは「シンプルな英語」だという。それは、シンプルなフレーズを覚えたら英語ができるぞ、と勝手に誤解する人をはねつける内容をもっている。帯には「主語と動詞を組み立てる力をつける」と書いてあり、これが私には気に入ったために手に取ったのであるが、本書の中身は、決してシンプルなフレーズが並んでいるというようなものではない。膨大な文、しかもビジネス文が並んでいるのである。
 イメージしているフィールドは、TOEICである。だから、学術というよりは、ビジネス現場での、通用する英語というものである。だから、例文もビジネス系のものが多い。私はそちらは所望していなかったのだが、コンセプトが気に入って購入した。つまり、主語と述語という基本は、子どもたちにもいつも伝えていることなのである。しかも、どちらかというと、動詞、これである。英語は動詞が命、とよく吠えている。長文でも、動詞ないし助動詞のところに、下線を引くというだけで、文の構成が見やすくなるのだ、という指導をしているわけである。そこへ本書が途中で、動詞だけをマークして読むという手法を勧めていたのであるから、これは私にとり嬉しいことだった。子どもたちに教えていたことが間違っていたのではない、との確信を得たからである。
 本書は、このコンセプトを片時も崩していない。最初は、SVOをメインにもってきて、ビジネスの場面でも利用価値の高い動詞をピックアップして、そのニュアンスの違いなどを教えてくれる。なにせSVOは、抜群に多い文型なのだから、ここから入るのは、多分妥当である。
 次はSVとSVCである。このとき、be動詞が活躍する。be動詞には、繋辞として「=」の役割を果たす場合と、存在を表す場合とがある。ここまでを押さえたら、SVOOやSVOCにはこだわらない。この思い切りがいい。凡ゆるものを精密に説明しようとするのではなく、身につけるにはここさえ理解すればよいという点をしっかり伝える。これはものを教える基本であ。本書も、文型全部を説明するよりは、もっと大事なことへと走る。
 そこで、時制や態の話に入るのだが、ここで、「能動を使おう」という方針を明らかにする。日本人は受け身が性に合っているので、その日本文のままに英語に置き換えがちである。するとやたら受け身が多くなる。それは英語の発想ではない、ということはかねがねよく聞いていたので、本書の指導もよく分かる。だが、例文をもってくるのがなかなか粋であるので注記したい。それは、日本文を、たとえば三通りの英文にして見せるのだ。そして、最も英語としてピチピチしているのは○、まあそれも通じないことはないかな、というのは△、そして、これはダサすぎるとするのは×、というふうに示すのである。このとき思うのは、日本語を英語にするときには、日本語を、英語的な別の日本文に一度直してみて、その方角から英語の文にするという発想である。中学生向けに言うと、「私には兄がいる」では英語に直せない〜、「私は兄をもっている」と言い換えて、それに相応しく英文にする、という段取りである。もちろんこれは反射的にするべきであるのだが、この発想が、少しばかり表現に困る英訳の場面において、必要な手続きということになるのである。
 前置詞や冠詞は、日本人にはなかなか感覚的に分からないことが多いが、助動詞で上手に依頼する仕方や、情報を続けて増やしていくために分詞や関係代名詞を使うことなどを的確に教えてくれる。そのときの「,」の入れ方の規則についても、きちんと伝えてくれるから親切である。
 最後のほうでは、スピーキングのためのコーチをする。そこで、いまの時代、ウェブサイトを活かさない手はない。なんとよい時代になったことだろう。ここで一つひとつご紹介はできないが、本書の巻末にもそれらはまとめられており、私はすぐさま殆どブックマークした。
 なにも、ネイティブになれというのではない。ネイティブの真似をすれば英語ができたようなかっこよさがあると思うならば、それは錯覚であり、勘違いである。著者はそうしたスタンスでいるのだと思う。英語をコミュニケーションツールとして用い、互いに通じない言語どうしの人々が、英語を解して交わることができるのなら、ステキではないか。ネイティブでない者どうしがコミュニケーションをとることができる、そんな空間が、英語を媒介してできたらよいのではないか。
 すると、英語の文学をどう味わうかといった点は、最初から捨象されていることになる。そう、だからTOEICなのである。この立場を認めて、スッキリした英語表現を学ぶとしたら、本書はかなりよいものだと言えるのではないだろうか。特にビジネス関係の人は、もちろん手放しで喜んで、本書に浸ったらよいだろうと思う。中学英語を教える立場であれば、やや視界が広すぎるだろうが、高校だったら、これはかなり面白いものであると言えるだろうと思う。
 英語を通じて、文化を理解し合えるとしたら、そして平和な世界を共に見上げることができたら、英語という道具という見方も、それはそれで良い面があるのだろう。要は、何のために英語を学ぶのか、である。帯にある「英語学習法の完成形」という大きな文字も、あながちハッタリなどではないように思う。ただ、読者が勝手な理想をそこに押しつけることがなければよいのだが。




Takapan
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