本

『思考の用語辞典』

ホンとの本

『思考の用語辞典』
中山元
ちくま学芸文庫
\1300+
2007.2.

 2000年に刊行された本が、学芸文庫として入手しやすくなった。手強い品である。
 百の用語を五十音順に並べ、それそれ5頁ずつ解説を加えている。哲学の用語として打ち出してもよさそうなものだが、「哲学」と銘打った瞬間、もしかすると「哲学」と呼ばれる領域に制限されることを嫌ったのだろうか、あるいはまた「思想」と言ってしまうと、特定のイデオロギーのような感覚で捉えられてしまうことを好まなかったのだろうか、ここでは「思考」という語を看板に掲げた。これなら、人間が何かを「考える」すべての場面で適用できる。私たちが物事について深く考えるとき、どういう語を駆使するか、そしてそこにどういう考え方をこめているか、あるいはまた、どういう前提を隠しもっているか、そうしたことを見抜く眼差しが、提供されている。自分ひとりの思い込みで勝手に話を進めることについても、私たちが警戒しなければならないとすると、こうした人類の叡智について振り返る試みの重要性は、いくら強調してもよいことだと思う。
 但し、本書には癖がある。ひとによっては、「……だろうね」「……んだ」などのように、話し言葉でどんどん語られてゆくことに抵抗を覚えることがあるかもしれないだろう。でも、慣れてくるとむしろ心地よい。
 著者自身の捉え方が混じらないわけではないが、本書は、ある概念をタイトルに掲げ、その概念について西洋思想史が打ち出してきた歴史的業績を説いている。その語り方も、一つひとつ問いを投げかけながら、最初にその概念を持ちだした人や文化から、それに対してどのように後の人や文化が抵抗し、あるいは改造しながら、時代の思考をつくってきたかを物語るように綴るのである。
 多くは、ギリシア語の語源をまず掲げる。やはりそこに、西洋哲学の思考の原点がある。語源がそのまま受け継がれるかどうかは分からないが、その概念を捉えるためのベースに、その語があると言えるだろう。尤も、この構造自体を論ずることもできるわけで、果たして概念から思考が造られるのか、そのとき社会をどう変えたと言えるのか、あるいは社会からむしろ概念が影響を受けて変化してゆくのか、といったことまで議論すると面白いであろう。
 ともかく、本書はそうやって、まず語そのものが内包するものを掲げた後に、しばしばプラトン、アリストテレスという哲学者の捉えたものを提示して、そこから大抵は近代哲学に入る。デカルトはやはり多く登場する。それから多いのはカントだ。ヘーゲルも出てくるが、カントがかなり多い。
 私はこうした本の場合、オレンジ色のボールペンでラインを引くことを常としている。しかしやたら線を引きまくると、後で見返すときに役立たなくなるので、よほどまとめのセンテンスと言えるものを除いて、用語単位で線を引く。そのうち特に注目すべき用語や、その項目の鍵になるような語には、黄色のマーカーを載せておく。あまり多くはしないつもりだが。
 ただ、ふだんあまりやらなかった部分に、本書では線を引くとよいことに気がついた。それは、人名である。ひとつの概念の解説に、多くの哲学者の名が登場する。それぞれの人物がその語をどのように使ったか、あるいはその後から新たにどのような語を提示して思考を深めたり広めたりしていったか、そこが本書の真骨頂だということが分かってきたのである。ある一人の打ち出した捉え方が、時に長く続く。そしてまた次の哲学者の考えが現れる。そこで、誰の思想が述べられているか、についてチェックして目立つようにするとよいと思ったのだ。
 それと、私が本書を気に入ったのには、もう一つ決定的な理由がある。それは、著者がフランス哲学に詳しいことである。私はそちらにはあまり通じていない。フランス語も分からない。だが著者は、そちらを得意としている。そこで、多くの概念に於いて、近代フランスの哲学者が実に多く登場するのである。デリダ、ドゥルーズ、フーコー、メルロ=ポンティ、ラカン、レヴィ=ストロース、レヴィナスといった名前は、殆どすべての項目に出てくるのではないか、とも思われる。これが私にとっては有り難いと思えたのだ。
 しかも、しばしば哲学の解説書は、一人の哲学者を紹介し、その人がどのように考えたか、どのような業績を遺したか、を綴るものだが、本書は概念が主役であり、その概念に対してどのような哲学者がそれをどのように解してきたか、を次々と流してゆく。一定の概念についていま自分がどのように捉えることができるか、どう考えればよいのか、そういう指針になると思うのである。これは、とてもユニークな試みだと思う。ある語を用いようとするときに、これからもしばしば開くことになるだろう。一通り全部読んだわけだが、むしろここからが役立つものとなるのではないか、という気がして楽しみである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります