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『試験に出る哲学』

ホンとの本

『試験に出る哲学』
斎藤哲也
NHK出版新書563
\860+
2018.9.

 著者も断っているとおり、「試験に出る」と「哲学」という言葉は、基本的に結びつかない。知を愛することを、試験での功利の俎に載せるのは、ソクラテスの精神に反するはずである。だが、そんなこだわりを読者にもたせることは、たぶんないだろうと感じた。これはよい企画だと考えた。
 大学入試のセンター試験は、名前を変えてもなお、基本的には同じように実施されることになる。これは、センター試験の「倫理」に出題された、たった20問を取り出した本である。しかし、サブタイトルにあるように、「センター試験」で西洋思想に入門する、という触れ込みは、非常に分かりやすく、小気味よい。
 確かに、ここに取り上げられた思想家は、ごくごく僅かな人数である。高校の倫理の教科書に取り上げられる人物は限られている。だが、私も今にして思う。こうしたメンバーが、やはり自分の中にいくつかの思想の柱として確かに建てられているということに。歴史の中の巨人とされる人々しか知らないというのは、現実に対応するのにあまりにも大雑把ではあるが、これらの巨人について知らないでいては、歴史や現実を捉える地盤があまりにも脆弱なものとなってしまうと考えられるのである。
 原典をどこまで読むべきかは、その人次第であろう。もちろん原語で読む機会をもつ人など、ごくごく限られた人数に過ぎない。しかし、人間の思考の仕方、つまり考え方というものは、ひとつの視点で養われうるものであり、そのような物の見方というものは、考え方を大きく変える可能性がある。気づかないでいるということは、自分の中の偏見や思いこみを唯一の真理と思いなすような、傲慢を膨らませることに大いになるのである。自己認識の必要な人々は世にあまりにも多い。思想を学ぶということは、自分を問うことになるはずであるし、人類の叡智を、ざっくりとでよいので捉えていくことは、世を生きる多くの人にとり、必需のものとなっているはずだと私は信じて止まない。
 その意味で、最低限かもしれないが、必要な思想家がここに取り上げられているということに、うれしい思いを懐く者である。
 だが、センター試験、侮れない。引っかけがあるのも事実だが、この思想を表している事例は次のどれか、という実例文の読解は非常に難しい。私も間違える。その文のどこが、その思想家のものと違うか、を判定するというのは、逆に大雑把に捉えないと許されないことである。そのあたり、適用するとなると、ステレオタイプに走りすぎる観があるため、問題のための問題だという点は部分的に見られるものの、しかし概ねよくできている。
 ソクラテス以前の哲学から実存主義まで、教科書的ではあるけれども、解説が非常に簡潔に、的確に述べられていて、これは高校生にはお薦めだと言える以上に、哲学の教育がなされないという致命的な運命をもつ日本社会で育った人々のために、これなしでは生きていけないと言いたいくらいの知恵をもたらしてくれるものだ、とまで言いたい。
 重要な語についてはゴシック体で目立つようにしてあるし、僅かではあるが、イラストにより理解を助けているところもある。必要に応じて原典の邦訳も掲載されており、分かりやすさという点でも優れた構成になっている。もちろん、倫理という科目はこの範囲に留まらない。サブタイトルにあるように、あくまでも「西洋思想」の入門に過ぎない。しかし、国際社会を動かしている大きな力であることには違いないし、力をもつ国家の基盤となっている文化や考え方ではある。学ぶ意義は小さくない。これを人類の思想のすべてだなどと錯覚してはならないが、これは人類の社会のために必要な理解を押さえている、ということは確かだろう。
 なお、選択式のセンター試験を取り上げたという意味では、正しく述べたものが四つのうちの一つであるという形をとるが、中には、その他の文が、別の思想家の考えを説明したものとなっているものがある。その点も、解答の中で触れてあるので、ここに取り上げられない、たとえばルターなども登場しているから、その「誤答項目」からも、学ぶべきことは多々ある。これは、そもそもあらゆる選択問題において、心得ておきたいことである。受験生は、もちろんとっくにそんなことは分かっているだろうけれども。




Takapan
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