本

『脂肪の塊・テリエ館』

ホンとの本

『脂肪の塊・テリエ館』
モーパッサン
青柳瑞穂訳
新潮文庫
\160
1951.4.

 名作「女の一生」で知られるフランスの作家・モーパッサンの実質的なデビュー作とその後の中編小説。「女の一生」とは少し趣が違い、社会をちくちくと刺すようなところがある。女性を描こうとしている点は通じるものがあるように見受けられる。
 1870年に始まった普仏戦争が舞台。プロシア軍に占領された町から乗合馬車で脱出する10人の旅人。その中にひとり、脂肪の塊と称される娼婦がいた。金持ちや尼僧までいたのでキャラクター華やかだ。この脂肪の塊は胡散臭く見られていたが、次第に打ち解けていく。ところが留まった場所もプロシア軍に占領されており、その士官は10人の出立を許さなかった。しかし士官は、その娼婦と寝られるならば出発を許可するという。脂肪の塊は、愛国心からそれを受け容れようとするが、他のフランス人はそれはいけないと止めようとする。しかし、それが理由で足止めを喰らったままとなると……。
 尼僧の描き方がなかなか面白い。信心深く、善人のような顔をしていながら、なんだかそのようには見えない。偽善めいた心理が醸し出されてくるのは、読者にとり、人間そんなもんだと思わせるようなものなのだろうか。
 モーパッサンは娼婦を描くことが多いというが、そこではしばしば、自らを献げる思いがあるようにも見え、よけいにキリスト教に篤い人々との対比が際立つ。モーパッサンの本領というところかもしれないが、若くして精神に異状を来したことなど、何か救われる手だてはなかったものだろうかとその才能が惜しまれる。
 もうひとつは短編といえる「テリエ館」。テリエ館というのは、まさに娼婦の館。その女主人の弟から、12歳になった娘が聖体拝領を受けるために来てくれという知らせが届く。女主人は、娼婦たちを引き連れて教会へ向かう。娼婦たちはその娘をとりまいて祝福する。あばずれと目されたひとりの娼婦・ローザは、夜、すすり泣くかの娘の声を聞き、呼び寄せて慰めると、娘はローザの胸に顔を埋めて眠る。女たちは聖体拝領に感動し、祭司はそこに起こった感動の嵐に、奇蹟を見たと大喜び。なんだか気をよくした娼婦たちは、元のテリエ館に戻ると、お祭り気分で仕事に取り組むのだった。
 娼婦たちの純朴な姿と、そこに起こった宗教的感動、この取り合わせが絶妙である。娼婦が認められていた時代、その雰囲気というのは、もはや小説や映画の中でのみ知ることとなったと思うが、吉行淳之介の小説などを見ると、薄暗い、だが何かしら心の通う人間くさい場所だというような気がする。フランスのこの時期の場合はどうだっただろうか。女性の社会的権利もまだない時代、宗教的に差別も受けていたはずであるが、その非難する男たちこそが、彼女たちの職業を成立されているのだった。なにかしら割り切れない、だがだからこそ人間くさい、そんな世界である。少なくとも見下すようであってはならない。モーパッサンは文学の中で、そんなことを叫んでいたのかもしれない。
 爽やかな、と言うと語弊があるかもしれないが、これも人間、というところなのだろう。たた、この「テリエ館」でも、教会や祭司が、引き立て役にまわり、喜劇役者を演じているところが、作者の本当の狙いの一つであるように思われてならない。




Takapan
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