本

『宗教を身近に感じる講座』

ホンとの本

『宗教を身近に感じる講座』
国際宗教研究会・監修
ナツメ社
\1,600
2003.6

 最近、「○○研究会」という著者名の本が多くなった。以前のサザエさんの秘密本あたりがその走りだろうか。個人名を出さないため、どういう立場の人が、どういう責任と共に本を著しているのかが見えてこない。その点、インターネットのサイトにある情報のような無責任ささえ感じられる(たかぱんもまたその一人)。
 宗教の解説があるのはよいことだし、とくにこの本は、イスラムについても詳しく分かりやすく書いてある。だが、本当に信用してよいのかどうか。というのは、キリスト教についての記述に、誤解を招く表現が多々見られたからだ。
 カトリックとプロテスタントの区別はそれなりに行っているが、しばしばキリスト教会はマリアの像を飾り……という意味の文が記されているのが気になる。たぶん主語は「カトリック教会は」であろう。こうした両派の区別なしに説明される部分は、いくつも見られた。ただ、この辺りの細かな記述は実際難しいと言われるかもしれない。
 どんな弾みであれ、「イエス・キリストはキリスト教の信仰の対象にはなっていますが、神さまではありません」という文(196頁)は、キリスト教を批判する文脈であるならいざ知らず、少なくともキリスト教の紹介をするページにおいてはいただけない。イエスは神と人間との仲介役として、罪人である人間を神さまのもとへつれていってくれる救世主だ、と説明している。そして「キリスト教では、神とイエスを、ともに心の底から信じることで救われると話しています」とまとめている。その後で、三位一体がキリスト教の基本であるとしているところを見ると、いくらかフォローはしてあるのだろうと想像されるが、やはり前半の部分は、あまりにひどい文である。
 同様に、「キリストの教会には、イエスやマリア、天使の像や絵画がたくさん掲げられています。しかし、それは彼らが神ではないからなのです。」という文(40-41頁)も、引っかかってしまう。さらに続いて、キリスト教の教会の壮大ささえ一種の偶像崇拝だと述べ、偶像に囲まれている安心感を肯定した上で、宗教は皆同じようなものが流れている、とまとめている。
 この本の得意とするところは、おそらく習俗に関してだろう。とくに仏教関係で習俗化した部分は、内容的に詳しい。その際の記述は、きわめて好意的である。神道も然り。無粋な想像だが、日本の神道なり仏教なり、本来的な「宗教」とは呼べないのではないかと批判のありうるものを、世界の「宗教」であるユダヤ教・キリスト教・イスラム教に肩を並べることのできるものである、と主張したがっている意思が、あちこちに見え隠れしていると思われてならない。一神教を緩和し、登山口は異なれど、頂上はすべて同じ、と言いたがっているように見える。この見方そのものが、多神教の立場であり、日本にうごめく空気の代表的な見解であろう。
 せっかく興味深い各宗教の解説が多いだけに、この根本的な立場が分かってしまうと、人に勧められないという結論にしかならないことが、もったいなく思える。




Takapan
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