本

『売れるお店に変わる照明のアイディアと工夫』

ホンとの本

『売れるお店に変わる照明のアイディアと工夫』
中島龍興
日本実業出版社
\1890
2008.10

 知っていそうで、知らないことである。その道のプロが、手の内を明かすかのように、教えてくれている。
 光というものは、ものが見えるために必要なものだ。いや、見えるということそのものが、光なのである。室内にあっては、その照明によってのみ光が供給されるのであるから、照明の設定は、実はものが見えることのすべてとなっているものである。
 たんなる蛍光灯で、明々と見えればそれでよいというわけでもない。
 近年、照明器具もさることながら、その光源そのものについての開発も多々ある。さらに、環境問題を考慮に入れて、エネルギー資源からしても、どういう仕方で照明するかは大きな関心を呼んでいると言える。もちろん、電気代だけを考えても、そのことは当然考えられて然るべきである。
 照明の基本から、筆者は説く。歴史や原理を紹介し、やがて店という現場において、どのような基本的な考え方があるのかを説明する。
 本の最後のほうでは、具体的にどういう場にどういう器具があるのかなどの実例が紹介されている。これもまた、分かりやすい。
 こうして見るとき、視覚を支配する照明というものは、人間のその場にいる気分を換え、心理的にも影響を多大に与えるものであるということが分かる。となれば、たとえば教会けんつくについても、そうである。ともすれば、見た目のデザインや、ちょっとした機能を追加することでオプション費用を多額にとろうというのが建設業界のやり方であるかのようにも思われているが、そもそもそこに来る人々に対してどう影響を与えるものかという視点から、照明というものを、つまり光そのものを考慮していかなければならないものであるだろう。
 いかに民家を改造しただけとはいえ、照明器具もただの事務室と同じ、ということであるよりは、何かしら光の効果を、せめてそのABCレベルでもよいから、弁えた上で設置したほうがよいことは、当たり前であろう。
 商店という現場に寄り添った本であるゆえに、教会そのものにどれほど直接適用できるかは分からないが、教会建築をこれから考えている人々、あるいは、改装を控えているところには、こうした照明への関心をもっと多く払っていって然るべきではないかという気がしてきた。
 それにしても、いかに当然のこととはいえ、江戸時代の照明の暗さを指摘されると、それだけで文化や考え方が違ってくるであろうことへと推測が働かざるをえない。時代劇の明るさなど嘘であることが、明確に指摘されていた。それはそうなのだ。光の具合は、人の考え方を、大いに換えるということが、ありうるのだ。人の善行が光であるとすれば、それもその範疇に入れて捉えることができるであろう。




Takapan
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