本

『増やされる障害児』

ホンとの本

『増やされる障害児』
宮崎隆太郎
明石書店
\2310
2004.9

 障害児をもつ親の気持ちはいかばかりか、はかりしれない。実際の世話や苦労もさることながら、精神的に自分を責めるような思いから離れられないかもしれないし、制度的に学校などをどうするかという問題に関しては、役人たちの厳しい反対の矢に立ち向かっていかなければならないと聞いている。
 さしあたりそうした体験をもたない私のような者が、この本に関してとやかく言うべき言葉をもたない。
 著者は、障害児教育の現場に立ち続けてきた人である。行政の無理解に対して、これ以上ないというほどの激しい怒りが、この本の随所に見られる。その過激さは、近年稀に見るというほどの思いを私はもつ。そこまで言わなくてもよいのではないか、などと。しかし、行政のようにそもそもが上から見下ろすような体質が出来上がっているその制度の中で、ひとかどの意見を言おうとするならば、なぁなぁで、まいっかと笑って済ませられるわけがない。誠実な心をもち、それを実践したいと少しでも考えている魂にとって。
 地域社会との接点が重要な点はともかく、障害者たちを集めていわば隔離してやるべきだというのは、行政としてはよろしい回答であるかもしれない。しかし、現場とのあまりにもずれを感じる著者は、随所で激しい怒りを示す。
 養護学級をどうするかなど、制度の改善が考慮されているし、検討が始まっている。ただ隔離するというばかりでなく、そこに障害者がいて当たり前という健全な社会意識があるほうがよい、という著者は、多角的に現場からの意見を述べる。
 障害者という呼び名で、軽い精神的未成熟なども全部引っかかってくるようになった。ノーマライゼーションという言葉など、かつては全く聞いたことがなかったのに、ここへきて猫も杓子も口で称えるようになってきてしまった。耳に響きの良い言葉が連呼されるが、その実その概念の理解の労苦や体験的背景が、空白になっていくような思いさえする。それは著者のみならず、私も感ずるところである。
 読み進む中で、読んでいる私がずいぶんと怒られるような気持ちになったことが度々あった。
 一個人としての弱さゆえに、ただ対等に国に意見を述べればよい、などという空想的な綺麗事は、この際封印しておくべきである。
 現場で一人一人の子どもと向かい合っていく決意は、私は賛成する。しかし出会う子どもそれぞれに応じて、さまざまな対応を返していくのは大変だろう。現場における直感的な方針変更ですら、えてして結果良好となる場合が多い。ただ、彼らを数字として取り扱ったり、誰でもがそうだという言い方をして事例の研究や結果の説明をするだけなら良好な評価があるかもしれないけれども、そこにいるやや不便な人とその家族の労苦を、少しでも軽いものにしていきたいという、より根本的な動機や方針といったものは、当面クリアされないままに放置されている感じがしないでもない。




Takapan
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