本

『彼女が天使でなくなる日』

ホンとの本

『彼女が天使でなくなる日』
寺地はるな
角川春樹事務所
\1600+
2020.9.

 図書館によく入ることもあり、寺地はるなさんの本を手に取る機会が多くなった。この作家の本だったらハズレはない、という信頼をもつようになった。まとまりのあるストーリーではあっても、いくつかの人生が、変わる視点で章ごとに描かれていく。
 舞台は、星母島という架空の島。佐賀に住むという作者のため、佐賀あるいは福岡がモデルになっており、実際の地名が登場することもある。その島に育った千尋がおそらく中心にいる。一年前に戻ってきて民宿を営むが、それは託児所を併設したものだった。というのは、その地の名所は、母子岩という、親子や家族の祈願を立てるものだったのだ。千尋自身、不安定なパートナーとの生活もあり、親との間の過去をもつ。早くに母を失い、父のことも知らない。民宿で育てられたという人生をいきなり背負わされたのである。人間の暗い内部を抱えるからこそ、そこを訪れる人の心の奥にある悩みにも何かしら通じるアンテナをもっていといえる。
 こうした設定から、私たちは無意識のうちに、傷ついた心が癒やされる出来事があり、主人公がいろいろな人と出会いながら、成長する、あるいはその傷ついた人が笑顔になる、というようなストーリーを想定してしまうものである。だが、読者はこの物語で、たぶん迷路に呼び込まれることになる。どこに解決があるのか、誰が救われようとしているのか、見えてこない。でも、未来への道が見えてくる。できた物語のように、スカッとはしないけれども、前へ進もうという気持ちになれるのだ。
 母子岩というのは、一種のパワースポットである。だから何かでそれを知った人のうち、すがるような気持ちで訪れる人もいる。いや、全存在を懸けて来るというものではない。なんでもいいから心の支えがほしいというものなのかもしれない。
 訪れた人が、たんに入れ代わり立ち代わり登場するというでもなく、何らかのつながりをもって現れることもあるのだが、タイトルになったのは、母と娘の関係だった。娘を天使だと思い、自分の思うように育ててきた母親。だが、いつまでもそうやっていられるはずもない。
 なにも、明確なメッセージがあるわけではない。ストーリーが有機的に構成されているわけでもない。人はそんな法則の中で生きているのではない。ただ現れ、出会い、変えられていくのであろうが、だがそれぞれ出来事から何かを学び、それを次の出会いのために肥やしとして役立てていく。いや、傷ついた出来事が、次の出会いを形成していくのだ。自分でこうなろうとか、できるようになるとか、そんな思いで日々なにかに取り込んでいるように思うかもしれないが、誰か他の人に教えられ、影響され、気づかされていく。  風のように通り過ぎるかもしれない毎日の中で、しかし見える風景とその風に撫でられる自分の感情が、相手を動かし、また自分が動かされていく。私たちも、ふとした出会いで、変えられていく。新しいものが見えてくることがある。
 文学は、その新しいものが見えるんだよ、という真実を伝えるメッセージであるのかもしれない。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります