本

『現代の戦争報道』

ホンとの本

『現代の戦争報道』
門奈直樹
岩波新書881
\777
2004.3

 アメリカは、世界のリーダーでなければならなかった。つねにアメリカは民主主義の権化であり、だから正義でなければならないのだった。
 ベトナム戦争でその証明が怪しくなったとき、アメリカは自らを反省する方向へ変わったのか。いや、むしろますますアメリカは強いのだというイメージを植え付けなければならなかった。正義は戦争という形で実現されるし、そのときメディアをどのように用いるかということは、何よりも優先して考えられるべきことであった。
 イラクとの戦いにおいても、戦死者を報道の中に個人的に出すことは、反戦の意図だという抑えつけがあった。アメリカは自由の国でありながら、もはや反戦の思想そのものがは許されない行為となっていたのである。
 たとえ報道が押し隠したとしても、インターネットで情報は駆けめぐるから、このネット時代には、より報道の自由が保証されるであろう、と考えた人がいた。だが、簡単にそうはならなかった。取材は制限され、限定されていくのだった。だから、イラクへ侵入して内部からありのままのイラクを報道しようとした人が人質にとられた事件において救出されたときにも、日本政府は、その誘拐を自作自演だということにしたかったし、なにより政府はその人質たちを表だって責め、いじめ続けたのである。この日本においてさえ、そうなのであるから、一番の当事者としてのアメリカは、情報が開示されているであろうと思いきや、かなりの報道規制や圧力により、思うように表現できなかったことが多いと聞いている。
 湾岸戦争のときから、そしてまたこの度のイラクとアメリカとの戦争においても、どのように戦争が報道され、その情報が扱われていたかについては、興味がある。あるいはこれを知ることによって、次に為政者が国家帰属意識を高め、しだいに「お国のために」動いていくように仕向けるという現実を、深く悟るべきではないだろうか。
 日本のジャーナリズムについて洞察の深い著者が、このイラクとアメリカの戦争についての視点を、言論あるいはマスコミという分野からどう主張するのであるか、楽しみであった。この本の中で、ロンドンのキーブル教授に、次のように言わせている。「現代の戦争は実際には巨大国にとって脅威ではないのに、その力が大げさに誇張されているような「ちっぽけな」国に対して欧米の絶対的な軍事力を押しつける戦争だ」と言わせている。
 報道を受け容れる私たちは、怖いことに、いつの間にか、その欧米風戦争観を自分の意見の如くに受け取ってしまっている。少なくとも、そのことに気づいていたい。私たちは、何とメディアに流されてそれを自分の血や肉にしてしまうのか、今ひとたび考えていかなければならないと緊急に思う。




Takapan
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