本

『狭き門』

ホンとの本

『狭き門』
ジッド
山内義雄訳
新潮文庫
\350+
1953.7.

 昔、読んだ。まだキリストと出会う前のことである。観念的にはなんとなく分かったかもしれないし、当時は恋愛という面から見ていたに違いないので、プラトニックと呼ぶともう若い人には通じないかもしれないが、恋が罪だというような考え方がまだ私たちの理想の恋愛の思想の場面で対抗馬になりうるような時代であったからには、ひとつの極端な事例として読んでいた程度だっただろうと思う。
 しかし、いまは違う。このアリサという女性は、信仰の中に生きているし、聖書の言葉に毎日浸り、その導きを信じている。そして主の言葉として最高の価値を置きつつ、葛藤するのだ。読者に信仰あってこそ、そこに共感できる何かが始まるのではないだろうか。
 小説であるから、ストーリーを全部ここで紹介することはためらう。必要最低限の情報で語っていこうと思うが、物語の語り手は、男性のジェローム。従姉妹に二人の女性がいて、姉がアリサ、妹がジュリエットである。子どものころには無邪気に過ごしていたが、互いに恋心を懐くようになる。ジェロームはアリサが好きだった。ジュリエットと結ばれる可能性もあるにはあったが、結局ジュリエットは別の男性と結婚し、幸福な家庭を築く。アリサは姉なので先に結婚して然るべきだったが、神の国に憧れるあまり、年下で学生の身分でもあったジェロームと結婚するということへ進むつもりはなかった。感情としては好きなのだが、どうしても結婚をする気にはなれない。離れていても、また恋心のままに想っていることで幸福なのだ、という。
 これが最後まで貫かれるわけで、ジェロームはついにアリサを失うことになる。
 小説は1909年。ジッドは聖書に由来する題名の小説をいくつも著しているが、もちろんこのタイトルは、マタイ7:13の有名な言葉に基づいている。言うまでもないが、受験競争のことを言っているのではないばかりか、受験の場面でこの言葉を引いてくること自体、思い違いも甚だしい誤りである。
 
7:13 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
7:14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
 
 それは命に至る門なのである。見いだす者が少ないのである。人が殺到して求める門ではないのである。浄土真宗は「他力本願」という言葉が誤った意味で流布しているとして抗議を重ね、いまはかなりその誤用が減ってきた。キリスト教界も、「狭き門」の誤った使い方に抗議して、適切な意味を知ってもらうように声を挙げるべきである。
 ところでアリサは、あまりに潔癖に、魂が主を慕い求めるままに任せ、妥協を許さないのだが、読めば読むほど、これは精神医学的に問題があるというように思えてならない。私はその道の専門家ではないので病的な指摘については断定することは許されないが、現実にこのような女性がいたら、奇妙に見えることだろう。もちろんこの百年の時代の経過は、道徳観や社会的情況など、一変しているが故に、単純に比較することはできない。しかし、それにしても、あまりに頑なで、異常な様相を呈している。ジェロームはよくぞこのアリサを長く愛し続けられたものだと驚くばかりである。
 だからそれは純愛物語なのだ、と考えることはよろしくない。ジッド自身、このような女性像に対して批判をするかのような態度でいたことは間違いないと言われている。
 ジッド自身が、同様に年上の従姉妹を愛していた。但しアリサと同じではなく、二人は結婚した。しかし二人の間に何があったのかはよく分からない。というのは、ジッド自身に同性愛の傾向があったり、よくない関係が夫婦間に芽生えていたようなところがあったりして、問題が含まれ続けていたのだというからだ。しかしこの夫婦は離れなかった。ジッドのほうが長生きしたが、その妻と共に眠っている。こうしたことが、巻末にある解説にはたっぷりと説明されているので、そちらを参照して戴きたい。
 なお、アリサは、その母親との関係の中に、問題を抱えていた。これも背景にあることは間違いない。親と子、とくにこの母と娘という関係は、注意を要する事柄であるようだ。フロイトの出番ではなく、もっとデータから、また社会的背景や思想的時代状況などを鑑みて、一定の学的基準から、研究が続き、提言がなされていくことが求められていると言えるだろう。
 私にとり、アリサとはまたタイプが違うが、自分を追い込むタイプの女性と向き合った経験があるので、実はこのジェロームの態度が、全く理解できないわけではない。切ない共感と共に、味わわせて戴いた。恋愛について時代の流行の中でしか考えられなくなっているかもしれない若い人々も、こうした世界を知る機会があってよいのではないか、というのが、率直な意見である。




Takapan
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