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『語り継ぐ「聖と宣」: 教団創立70周年記念説教集』

ホンとの本

『語り継ぐ「聖と宣」: 教団創立70周年記念説教集』
イムマヌエル綜合伝道団出版事業部
kindle版
\700
2015.3.

 一般書籍としても出ているようだ。そうなると、イムマヌエル綜合伝導団出版事業部発行で、税込み価格が1620円と出ている。発行は四月のようである。
 電子書籍の比率が、自分の中でも多くなってきている。とにかく荷物が家に多いというのが家族に嫌われるわけで、電子書籍のために最初Readerを買ったとき、歓迎されたものだった。が、Readerの使いにくさが目立っていたころ、kindleのバーゲンに出会い購入したら、これがサクサクと軽い。それでも、一番の用途は聖書通読であって、一般書は多量というふうには向かわなかった。hontoの電子書籍はときおり買っていたが、パソコンだけで読むのはけっこうしんどく、量的にはどんどん増えることはなかった。そこへ、スマホを導入したとあって、このhontoが電車内でも読めるようになり、だいぶ購入量が増すようになった。
 今回の「聖と宣」は、実はamazonのプライム会員になって、初めての、月一冊無料で読める、いわば貸出の本として選んだものである。比較的短い本で、値段がややあるもの、そしてずっと手持ちでなくてよく、一度読みたいというようなもの、それが私のプライムとして選ぶ条件であるのだが、それに適う第一弾としてこれを選んだのだ。
 キリスト教の説教、メッセージである。実際に教会の礼拝や伝道集会で語られたものもあるし、メッセージとしてこの本の主旨に合うように書きおろしされたものもある。イムマヌエル綜合伝道団というプロテスタントの団体の21名の牧師が名を連ね、団体としてのメッセージに相応しいように集められた説教集である。
 この伝道団に属したことがないため、どんなメッセージであるか、興味深く読ませてもらった。もちろん、わずかな量の原稿で決めつけるわけにはゆかないが、やはり20ほどの説教を見ていくと、傾向のようなものは感じ取れるようになってくる。
 どうやら聖書を深く読み込んだり研究したりするというタイプではないようで、福音という事柄についてそれを受け容れるよう迫るようなものである感想を抱いた。そのため、聖書を聖書によって解釈する、というストイックな姿勢は強くなく、聖書の言葉を題材にして、汲み上げた救いの理論や定式を提示しようという様子が感じられた。それが何も悪いということではない。聖書になじみのない人でもそこそこ人生論のように聴くことができるし、生き方を問われる中で、聖書が何を言っているかについて、感じとることができる。聖書の用語はもちろん出てくるものの、もう少し一般的な次元で、教会が告げる救いのメッセージが直接的に届くように組み立てられた説教であると思うのだ。
 その理由のひとつは、多くの牧師たちに共通して、項目を立てて提示する癖があるように見受けられたことがある。つまり、「捉えたいポイントが3つあります、その第一は……」と、予め数字を設定して、箇条書きに整理ができるような方法で要点を伝えるというこどである。これが面白いように、どの人もやっている。確かに、これは話を聴きやすくする知恵であることは分かっている。話を聴く側からすれば、大事な点が3つあるのだ、というふうに頭の中にまず引き出しを用意しておくことができる。こうして、まずこれこれ、次にこれこれ……と受け止めていくと、理解が進む。
 だが、私は説教にこれを多用することを好まない。聖書は、このように数字を挙げて整理して伝えようとしていないからだ。福音書も、書簡も、こうした数字による整理をしていない。たとえ、パウロがそこで3つのことを言っているように読めたとしても、読み方によっては、2つにまとめられるかもしれないし、4つ取り上げることができるかもしれない。少なくとも、パウロ自身が、3つあります、と述べていない限り、3つに整理してよいのかどうかは、読む人次第である。それを、伝える側が3つに限定し、聖書は3つを言っている、と断言してよいものかどうか、これは大いに疑問なのである。伝道集会などで、聖書にあまりなじまない人に伝える分にはよい手段であると思うが、成熟したメッセージとしては、あまりに説教者の断定的な枠を押しつけることになりはしないか、と思うのである。これは、説教者がどのように一人の人間としてその神の言葉を受け止めたかは別にして、教団で作成した定式の教義をそのまま提示するには都合がよいが、説教者が神と格闘して受け止めた聖書のいのちのことばであるという力を感じないのである。
 逆に言えば、読みやすいのであって、こういう説教が無駄であるなどと言うつもりは全くない。ときおりぐっとくる指摘もあり、信仰生活のために役立つことは請け合いである。いろいろ気づかされることも多い。
 やや読みづらいのが、説教のための聖書箇所が記されていないことだ。いや、何々書の何章何節というのは書いてある。が、そのテキストが本編にないので、読者はその説教を味わうためには、自分で聖書を用意して開かなければならない。しかしその割には、その聖書箇所を細かく辿ったり解釈していったりということがなく、ましてひとつの語の深みを聖書から縦横に捉えようとするような突っ込みも殆どなく、なんとなく全体的な印象のようなところから、信仰生活への指針を5つ挙げましょう、というふうに持ちかけられるので、やはり聖書から深く聴こうとする読者にとっては、物足りない。聖書を使って、牧師や教団の伝えたいメッセージが、逸話などと共に聞きやすく語られている、という感じは否めない。本書では、説教箇所に選ばれている聖書箇所は、実にポピュラーなところばかりである。意識してそういうのを集めたのかもしれないが、たいへん有名な個所ばかりである。そのため、わざわざ聖書本文を持ち出さなくても、教団の人ならば誰もがどの箇所が分かる、という意味で、聖書本文を記さないのかもしれない。しかし、聖書のムード的な解釈ではなく、聖書に実際書いてある言葉や表現の中から、なるほどそう言っているのか、と思わせるような説教であれば、本文は必要である。
 それと、残念に思うのが、誤字や形式の不備が多々見られることだ。これは、紙の書籍においてどうであるのか、分からない。デジタルであるが故のミスなのかもしれない。元々Wordで文章を作成していた場合によく起こるのだが、設定でインデントを自動にしておくと、段落の最初の一時下げが自動で行われるものの、実はそこには空白信号が置かれていない措置となる。そのため、それをこのような原稿に替える場合、テキストを変換すると、段落の最初の一時が空白として認識されない。このまま電子書籍原稿に移すと、段落の一時下げが消え、電子メール本文のように、段落の頭から文字が始まることになってしまう。ありがちなミスだが、これがいくらか目立って見られた。また、教会の火事の話で、「消化」という字が見えてしまい、シリアスな場面で少し気がそがれたりもした。よくよく、点検しないといなけいということは、他人事ではなく感じる。




Takapan
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