『精神科治療の覚書』
中井久夫
日本評論社
\2000
1982.4.
精神科医として、阪神淡路大震災のときに、被災者の心を守るために尽力したことで有名な著者である。今回「からだの科学選書」というシリーズの一冊に、良い本があることを知った。
数理科学の専門書は、素人が読めるものではない。ただ助かるのは、本書には数式や化学式はない。その気になれば読めるかもしれない。そう思えるような本ではあったが、確かにかなり専門的である。精神科診療の現場の情景と、それに対する正に「覚書」が連載記事として書かれているのであるが、用語の使用については遠慮がない。素人相手に殊更に解説を加えようとする様子はなく、それをすべて理解する読者を対象に、話を進めてゆく。だから素人にはとても――と思ったが、必ずしもそういうことではない、というのが私の感想である。それは、私がこの方面に幾らか関心があったためであるかもしれない。精神科を受診したことは幸か不幸かないのだが、双方からの体験者の文章を読んだことは数多い。また、私自身の中に「狂気」と読んでよいか分からないが、自分を見つめた中でいろいろ気づくこともあるため、書いてあることについて、分からないでもないことが多々あるのだ。
ここでは記さないが、それは中井先生自身も同じである。すでに自ら公表されていることでもあるが、なかなか誰もが感じないような、あることについてのものの感じ方をなさる方なのである。だからこそまた、患者の心理についても近づけることがあるのかもしれない。
実際、ここには医療現場のことで一般になされていることへの批判や反対意見もあるのだが、中井先生の提案していることは、私の中でも納得のいくことが少なくない。励ましがいけない、という点については広く知られるようにもなってきたが、私のような素人でも、子どもを相手に仕事をしていれば、それなりにその心理を理解するための方法というものを、学んできている。ときに痛い代償を伴いながらも、経験を重ねてここまできている、とも言えるのである。
だから、専門的な書き方がたとえなされていようと、私にも肯けることがたくさんあり、読みやすかった。一日に連載一回分、B6の本で15頁かそこらの内容を読み続けることにしていたが、どの話も、私なりにためになった。
初めの方には、「リズム」という点が挙げられている。連載は1980年を挟んでの数年間であるが、たぶん1970年代ではなかったか、「バイオリズム」というものが脚光を浴びたことがあったのだ。一つの参考にはなるかもしれないが、それを信用してしまう人が多々あり、一種の占いのように機能していたのではないかと思われる。もちろん中井先生もそれの信奉者ではない。が、精神病の治療に関してそれに関する体験談や理論などを、そこから繙くのである。
精神科での治療で、最初が大切であることや、入院か通院かどちらがよいのかについてなど、時には病院の経営事情も加味しながら明かしてゆく。現場の医療従事者にしか分からないような、患者の反応や治療結果などを、単に理論だけで押し通すのではなく、また借りに理論的な支持がなかったとしても、経験上確かなことは、ここではっきりと教えてくれている。生の声、という感じがする。もちろん、ただの当て推量だけで済ますものではないから、その辺り、ただの印象で語るような人ではない。
発病と寛解をどう判断するとよいのか。治療は早く進めるべきなのか。危険な急性の場面での患者の置かれた状態と、それに対する医者が見るべき点や必要な対応など、経験と理論からくるノウハウが、あちこちでふんだんに語られている。
そもそも中井先生は、エッセイストとしても卓越した方であるから、とにかく文章が巧い。ここにあるのは、論文ではなく、やはりエッセイのようなものだ。とても読みやすいし、読み手が心で補うであろうことや、読み進めるために必要な配慮が十分に染み渡っていると思う。しかもただの思いつきではなく、これを読んだ精神科医が目を開かれること間違いない、というような貴重なアドバイスではないだろうか。
何が治療を決めるのか。入院という措置はどうとるのか。治療上は、実のところ入院のほうが、医者としては都合がよい。生活全般を見ることになるし、実質研修医に宛がうのは入院患者であるという。通院患者と向き合うためには、それなりの時間と経験が必要なのだという。確かにそうだろう。
かつてあった往診の事情や、また当時話題になったのであろう、「精神病院開放化」という考えについても、住民の反対運動などがあった社会事情から描いている。当時の生々しい空気を伝えてくれる、こうした記録は、やはり掘り起こすべきなのだろうと思わされる。
終わりの方で、「急性精神病状態の治療原則」という題に、「家族への援助」という角度から一つ、「患者への援助」という角度から三つ、長きにわたって書かれたものがある。ここには、精神病治療についてのエッセンスが詰まっているように見える。本書を手に取ってなおお忙しい方は、ここを一通りまず読むという作戦はどうであろう。家族サイドに知ってほしいことがまずあるし、続いて、治療側への戒めも含め、心得るべきことがたくさん鏤められた文章が続く。
専門的な言葉がどうの、と私は先に言ったが、人の心を扱うとなると、一つひとつ理論的な説明や概念規定が適切であるとは限らない。その急性精神病状態の治療原則において、こんな表現もある。現代精神医療の基礎を築いたサリヴァンは、「いくら合理的な、立派な理由が揃っていて、そうすべきだ、と思っても、何かいやーな気がしたら、やめておいた方がいい」と患者にすすめているのだそうだ。が、中井先生はこれに加えて、「そのいやーな気がますます強まるならば」と言いたいのだそうだ。これに続いて、患者の心理が、同様に平易な言葉でドラマチックに挙げられているので、素人の私にも非常に親しめるように感じた(p284)。
最後の「精神科医についての断章」という章には、医者としての心得という意味では締め括りのような大切なものが詰まっているが、個人的にひとつよく響いてきた叙述があった。それは、「カリスマ症候群」に医者が罹ることへのリスクが並んでいた。患者の側の受け取り方と、カリスマ者としての医者のしていることとが対比されて述べられているのだが、最後にそれらをここに羅列させてもらおう。シンプルにするため、「A――B」と以下私が結んだ、そのAの方が患者側の考え、Bの方が危ない精神科医のしていることである。
思考が吹き込まれる――自分を思考を人に押し込む
自分の思考を抜き取られる――他者の思考を奪う
自分をとがめる声を聞く――他人をとがめる声を放つ
外部から自分が操られる――自分が他者を操る
幻影を抱く――他人に幻影を抱かせる
被影響体験をもつ――他人に影響を与える快適な体験を自覚する
如何だろうか。医療現場でない、他の場面でも、このようなことがなされていることはないだろうか。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド