本

『精神科医というビョーキ』

ホンとの本

『精神科医というビョーキ』
富田伸
西日本新聞新書004
\840
2006.3

 読みやすいエッセイである。まだ若い精神科医は、開業医としての経験はまだ数年であるが、研究所や大学講師として多くの人に接してきている。
 だから、何か系統的な知識を得ようと思って本を開くと、期待はずれに終わるだろう。まとまったことを論理的に伝えてくれるものではないからだ。それよりも、自由に筆者の気ままな思いにつき合う気分で、流していこう。逆説的に言えば、読者が、この精神科医の気ままな精神状態を観察しているという具合である。そうか、だからこういうタイトルをつけているのだ、などと思いながら。
 何か本来のスペースの関係なのか、筆者の趣向なのか分からないが、改行が少ないように見受けられる。本格的な小説における技巧でない限り、私たちは、頻繁な改行に慣れてきているので、少々読み辛い気はする。だが、却ってそれゆえに、「段落に要点一つ」という読解の原則を胸に読み進むと、言いたいことの把握は易しい。それもまた読みやすさの一つの指針であるかもしれず、心理的に計算されていることかもしれない。
 189頁の、『パッション』の映画についての話で、イエスの受難と復活について、鋭い感覚を見せているのが光る。どうしてそれを鋭いと言うかというと、筆者は仏教を奉じており、他の霊能的なことにも関心を払っている。多分に、聖書に従うようなスタンスではない。それが、あるいはそれゆえに、かもしれないが、受難の意味を、映画から察知している。
 人の心を見つめ、それを尊重する立場にあると、やはり大切なものについて感じるようになるものなのかもしれない。筆者からすれば、そんな小さな部分に、と思われるようなことに、私としてはちょっとこだわってしまった。この姿も、精神科医にしてみれば、何か分析を施してくださるのであろうか。




Takapan
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