『知のスクランブル』
日本大学文理学部編
ちくま新書1239
\880+
2017.2.
普通、新書は、ひとつのことを教えてくれるために出版される。200頁かそこらを使い、ひとつのテーマを扱い、様々な事例と共にそれを証拠立て、読者に一筋の爪痕を遺す。読者は、新書一冊によって、ただ一点においての知識を得、いくらか詳しくなったつもりになる。
ところが本書は、18の話題をもちかけ、それぞれ全く別の分野である。それぞれのプロフェッショナルが、10頁余りのスペースを用いて、研究の最先端か、または世で関心をもたれていることについて、分かりやすく、しかもそれ相応に詳しく伝えてくれる。
だからこそ「スクランブル」なのであるが、サブタイトルにある「文理的思考の挑戦」ということが何かを物語っている。
昔から、京都大学の雰囲気について取り沙汰されることがあった。ノーベル賞受賞者が、東大からではなく、京大からばかり現れることについてである。原因があるかどうかは分からないが、京大では、分野の異なる教授が交わる機会が日常的にあるのだ、という点がよく挙げられていた。たとえば、理系分野の人が、文系分野の人と交流する。そこでの話の中から、別の視点や新しい発想をインスパイアされるのではないか、というわけである。
日本大学文理学部について、私は知るところがないのだが、「学部」として、そうした理系文系の区分けに囚われないような、何かしら共同性があるというのであろうか。「あとがき」によると、「総合大学のスケールと同じような学生数、教職員数を一学部として抱えている」のだそうである。しかも、この「知のスクランブル」を形成することが、文理学部の使命であるのだという。こうなると、当然多くの人が思い起こすであろう、「リベラル・アーツ」を一つのモデルにしていると言えるのかもしれない。事実、この大学でも、この学問の形態を想定しているようである。中世ヨーロッパに生まれた大学の姿であるが、「自由7科」は、さすがに現代では同じ区分けで完成されるものではないはずなのだが、理念はそこにある、と言ってよいであろう。
ともあれ、本書は様々な分野での、「知」の世界がたっぷりと楽しめる。人文学・社会科学・理学の三つから等しく6人が執筆しているのだが、敢えてこのように分けることで、読者の利便を図っているのであろう。本来、様々な分野がごちゃ混ぜであってもいいはずなのだから。
最初を飾るのは、永井均氏による哲学への誘いである。「自分とは何か」をテーマにするのは、確かに論者の得意とするところであろう。自分をどうやって他者と区別するのか。そう、自分とは何かを問うと、その問うている自分が何者かという点を抜きにしてしまうことになり、ドイツ観念論などはその難問と闘ってきたのだ。ここでは、具体的で分かりやすい思考実験を用いて、ついには、「あなたが存在している期間は、普通とはまったく違う、いわばお祭りのような期間なのである」という指摘を結論とし、これを「存在の祝祭」と呼ぶとよいと提言している。尤も、そこから「あなたは神の創造物ではない」と持ち出すから剣呑であるが、それは哲学的な問いからすれば、当然のことなのかもしれない。
この調子でご紹介すると、明日になるかもしれないので、この後は、各講の題だけを基本的に概観することとしよう。「歴史を問う」というオーソドックスな題からは想像できない意外な観点を与えられる。「物語を読む・作る」は、古典と二次創作の関係を告げ、「映画に見る現代「中国」」と続き、「越境する英語と英文学」は、英文学を学ぶ意義をも考える。「異文化に向き合う」のは、ドイツの政治文化がその内容となっている。
社会科学からは、「社会を「共有(シェア)」する」として、「共有」が現代のひとつの鍵となっていることに気づかさせ、「悲しみをわかち合う」は、子を喪った親に寄り添う心を扱う。「教育の複雑さ・微妙さを伝えたい」では、シロウトが気軽に口に出す教育論の危うさを正面から取り上げるから、SNSでああだこうだ教育について偉そうなことを言う人はぜひ自分自身をここから知ってほしい。「体育におけるコーチングの可能性」や「心理学で「子育て」を支援する」となると、広い意味の教育と言えるかもしれないが、実際の活動が非常に大切であることを知る。「砂糖の地理学」は、フィールドワークの大切さと共に、砂糖というひとつのものに含まれた人類の歴史と文化に、初めて気づかされるような思いがした。
理学の分野では、「生きた地球を探る」として、火山噴火についてまず教えられる。中学一年生に教える火山や火成岩の知識があれば読みやすいかもしれない。「数学は宇宙の謎を解くか」では、宇宙という具体的なもの、否、果てしなく抽象的なものを、数学的思考で扱う意味を感じ取ることができそうである。「巨大データが実現する人間の知」は、人工知能と巨大データについての探究だが、発行後8年を経て読んだ私の目には、AIがずいぶんと生活の中に関わってきた現実を見るので、いまだとまた少し違う角度から執筆されて然るべきかもしれないと思った。「ウイスキーの物理学」には驚いた。実はまだよく分かっていないことが多いのだそうである。そして、水を2、3滴垂らすことでまろやかになることなど、私は知らなかったので、早速やってきた。垂らしたその水滴が十分混ざるようにすると、確かに舌の感覚がまるで違う。そこにブラウン運動やアインシュタインが関係しているなどとは、目から鱗であった。「生命をデザインする」は、遺伝子解析の物語であるが、相当に新たな生命が現に造られていることを認識する。しかし思えば、地球上で、これまでに大部分の生物種が絶滅を繰り返してのこの現状である。種というのは、その殆どが消え去ってきていることを考えると、人為的に絶滅に追い込んでいる現代の特異性が、これから何をもたらすのか、その観点からも考えねばならないように思わされる。最後に「植物を化学する」が登場し、植物について人間はまだ殆ど何も知らないに等しいのだということに行き当たる。未知の薬草がどれほどあるのか、想像もつかないのだそうである。
ああ、表面をかすかに触ってきただけで、わくわくする。高校生がこれに触れたら、どこかにカチッと自分の関心と感情が引っかかるのではないだろうか。ぜひ高校生の必読書のリストに入れて戴きたい。もちろん、大人も大歓迎である。

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