本

『賛美、それは沈黙のあふれ』

ホンとの本

『賛美、それは沈黙のあふれ』
新垣壬敏
教文館
\1800+
2001.2.

 タイトルに惹かれるということがある。うまいフレーズだと思う。著者はカトリックの作曲家。カトリックの典礼聖歌を基準にしながら、賛美の何たるかを説く文章が集められている。カトリックの雑誌のほか、『礼拝と音楽』に多くが掲載されていて、それぞれ意義深い原稿となっていて、丁寧に思いが綴られており、また読者に様々な事情が紹介されているといえる。
 3つの大きな章に分かれているが、その中にそれぞれ数項述べられているものは、それぞれが別々の原稿である。そこで、本書の章立てや項目には必ずしもこだわらず、関心のあるところから読んでもさして混乱はないという事情はお伝えしてよいだろうと思う。
 本のタイトルは、その冒頭の文章の題に基づいているのだが、そのまえに「はじめに」をまずお読みになることをお勧めする。ここに著者の主だった考え方がだいたい紹介されているので、本文を読む準備となるだろうと思われるのである。母語が心に響くこと、だから「言葉」を如何に大切に扱っているかということ、だからカトリック教会が第二バチカン公会議でラテン語による礼拝を強いない考えを打ち出したことが、賛美の言葉を豊かにすることに寄与したのだという視点である。これで本書のおおよその主張が尽くされている。
 言葉が大切である。だから、あちこちで繰り返されることになるが、著者にとっては、必ず歌詞が先にあって、それに曲を付けるという順序しかありえないことになる。曲が先にあって後から言葉をつけると、アクセントや切れ目その他、ちぐはぐなものになり、特に複数の節があるときにはもう無理なのだという見解であり、曲から歌詞という順序は、考えられないのだという。
 もちろんこれは、世俗のミュージックシーンとは全く逆である。歌詞が先というのは珍しいというのが常識だからだ。しかし信仰の歌は、言葉が命であり、訳詞なども情緒的に短くまとまっているのはどうにも歯がゆいものであるらしい。
 カトリックの方では、誰でも気軽に作曲をして歌うということがままならぬようである。しかし新しい歌が許されているという動きにはもちろん歓迎の意を示すことになるだろう。
 随所で実際の楽譜を載せるが、音楽的な細かな議論をすることは少ない。カトリック関係の先人たちの例を挙げ、エピソードを披露することも何度かあった。こうした点は、プロテスタント教会の盲点である。なかなか紹介されないし、知ろうともしない。もっと知って然るべきではないかと思う。
 実際の賛美の歌の歌詞を細かく検討することもある。教義の上で誤解されるかもしれない表現が実際にあるという指摘は、考えさせる。気軽に新しくつくった歌をプロテスタント教会でも受け容れて歌うことが多いが、歌詞の中に誤解を招くものや、どうかすると誤った福音理解を宣伝することになるようなものが混じっているのではないか、よくよく検討する必要があることを感じる。
 とはいえ、カトリック独自の「教会の祈り」といった典礼について詳しく述べられても、私にはなかなか実感をもって受け止めることができないので、やはりカトリックの方のほうが、本書は肯けることが多いのではないだろうか。その点はやむをえないといえばやむをえない。
 終わりのほうでは、バッハやモーツァルトなどの紹介もあり、その人物像をダイジェストで読者に教えてくれた。もちろん、そこには一定の信仰についての考え方が含められているものとして語っている。
 音楽についていろいろな面を見せてくれる一冊であったが、タイトルだけの表紙ではなく、これはカトリックの賛美についての本である、ということがどこかで分かるように示せなかったものかとも思う。これはやはり、カトリックの典礼賛美をひたすら語り続けた本なのである。そして、言葉を如何に大切に扱わなければならないことかを終始告げているので、専ら音楽性を期待して本を取り寄せて人はがっかりするかもしれない。もちろん、著者名からそれは分かるということになっているのかもしれないが、本をアピールする側からしても、不親切である。多くの人に買ってもらおうとする意図は分かるが、だとすればなおさら、カトリックの典礼のことだと示したほうが、多くのカトリック関係の方の興味を惹くのではないだろうか。ちょっと、その辺りで本のもたらし方に疑問を呈することになる。そして、私のような者が言うべきことではないが、文章とその展開が、日本語の流れとして多少ぎこちないような印象も時折受けた。また、もちろん言葉が先だという信念をもたれることは構わないのだが、そうでないものは音楽ではない、というように斬り捨てるような言い方が繰り返されるのは、あまり好い印象を与えない。穿った意地悪な見方であるかもしれないが、歌詞を綴る者よりも、どんな歌詞にでも音楽を付すことのできる音楽家のほうが上位にあるような隠れた意図も現れてくるような気もするので、他を認めない断定的な主張は、同じ内容でももう少しソフトに言ったほうがよいのではないだろうか、とも思った。




Takapan
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