本

『コンパスと定規の数学』

ホンとの本

『コンパスと定規の数学』
アンドルー・サットン
渡辺滋人訳
創元社
\1260
2012.1.

 小さなサイズであり、薄い。それにしては高価だな、という印象を与えるかもしれない。おまけに中身も図と説明ばかりで、イラストのひとつもない。まことに、興味のない人にはとことん関係のない本であるのだろうと思いつつも、私は必ずしもそうでないものだから、引きこまれていくのを覚えるのだった。
 副題は「手で考える幾何学の世界」とある。そう。数学では、今中学一年生の後半で教えられる、作図というテーマである。思えば、垂直二等分線とか角の二等分線とか、そこで学習されテストに出るという作図など、この本の最初の頁で終わるような内容でしかない。作図とは、奥が深く、幅が広いものである。古代ギリシアから真剣に検討され、賢人たちが真剣に考え抜いた作法なのである。
 そもそもそのストイックな姿勢がいい。コンパスと、目盛りのない線引き定規だけで、図を描こうというのである。どうしてそういう道具に限るのか、という点が、思えば不思議である。制限された状況で、パズルを解く考えと似ているとも言える。
 ギリシア時代に、その作図で疑問が持ち上がった。円と同面積の正方形を作図できるのかどうか。答えは見つからない。できるとも、できないとも分からないが、とにかく誰もがその解答に行き着かない。この「不能」の証明は厄介であり、その解決にはまた全然別の手法で、後の時代を待たなければならなかった。それは、二次方程式の解法という方法からくるものだった。
 そういった背景も書かれているが、この本は、とにかく実際にどのように作図するかの説明が主体である。同じ図形を描く方法も、いくつかあることが紹介される。小さな図と説明なので、ひとつひとつはかなり見にくいし、説明もくどくどすると長くなるために最小限の言葉で、実にシンプルに書かれてあるに留まる。それは、ある程度の知識や関心がないと取り組めないのではあるが、端からこの本がそうした人を対象にしていると言えるだろうから、その点は問題がないと言えるだろう。
 それよりも、とにかく面白い。テーマ毎にまとめられているため、必ずしも後のほうが難しいとも限らない。簡単そうなものから実際に描いてみるとよい。そして、そのようにしてここにある図形を自分でも描いてみようと思うと、たぶん実に膨大な時間を費やすことになるであろう。長い時間使えるという点では、この本の値段は、激しく安いものに思えるのではないか、と感じる。
 それから、この単純な道具により描かれる図形が、如何に美しいか、それを目の前に見るだけでも、味わいがある。できあがりの図だけだと、どうせまたパソコンに描かせたのだろう、という程度でしかないのだが、ひとつひとつの工程をたどって描かれた、いわば肉筆の図形には、深い味が覚えられる。ピタゴラスやプラトンなどギリシアの賢人が、宇宙の神秘や美を数学や図形の中に感じたということが、しみじみと分かるようなひとときを得ることができる。どうぞ、哲学者の皆さんも見て戴きたい。




Takapan
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