本

『親が教える! 小学生の作文上達法』

ホンとの本

『親が教える! 小学生の作文上達法』
樋口裕一
角川書店
\1260
2009.7

 イラストがない。ひとつもない。もちろん写真もない。原稿用紙の添削の様子はあるので、これは手書き原稿の部分があると言えるが、本の作りが非常に単純だ。そのせいか、価格が穏当である。
 だがそんなことはどうでもいい。これは、作文指導において定評のある著者の、ノウハウを紹介したものである。こんなにばらしてしまっていいの? と老婆心ながら心配するほどである。むしろこうしてノウハウで信用してもらって、実際に自分の子を指導してもらいたいと親は思うものだろう。
 だが、この本のタイトルでは、「親が教える!」となっている。心得のある親ならば、自宅ででも指導できる、というふれこみである。だが、私はこれを怪しいと思っている。やはり指導についてはプロの経験がないと、この本を見ただけでは教えられないと思う。これは馬鹿にしているのではない。自分の子に対してなど、感情的にならざるをえないし、規律や義務の点でも曖昧な家族という場の中で、教えるのは困難を極めるということを言いたいだけである。
 私のように職務上経験のあることであれば、この本を読めば、書かれてあることが正しいと分かるし、私も考えてみれば、ここに書かれてあることくらいは殆ど実践している。一部なるほどと思わせる部分がないわけではないが、基本的に自分ですでにやってきたこと、子どもたちに教えてきたことである。しかし、そうでない親がこの本を読み、それをわが子に適用して作文上手にさせた、となると、これはもうこの親はただ者ではない。すぐに作文指導を職業とすべく仕事を探したほうがいい。
 つまらないことでここまで字数を使ってしまった。
 小学生という限定があり、そういうつもりで様々な事例が用いてあるが、私は中学生でもむしろこのように指導してやりたいとさえ思った。特定の仲間に通じる言葉遣いでメールを打つことはできても、顔の見えない一般的な人々に対して誤解されないように文章で何かを伝えるということは、中学生にとっても至難の業である。それだけ書き慣れていない。日記すら、つけない。日記を綴る子は、要するに日常的に作文を経験しているので、この本に書かれてあるようなことは、自然に体得しているという場合が多いはずである。
 この本そのものもまた分かりやすくできている。イラストがないことをデメリットに数える必要がないのだ。大事なところはゴシック体で目立つようにされ、一項目もだれるほど長くはない。作文を教える先生だけあって、その綴られた文章は簡潔でシャープである。言いたいことは誤解なく伝わるというタイプの文章なのである。
 塾などで作文を指導する人も、これくらいのノウハウが自分の中にあるかどうか、自問してみるとよい。知り尽くしたベテランは読まずともよいだろうが、経験の浅い人には大いに参考になる。役立つということである。
 実際の添削例が手書き文字と共に幾度か挙げられているのもありそうでなかなかないサービスである。ただ、この原稿用紙の添削について、無責任ながら希望を言わせて戴こう。それは、「原稿の文字も手書きでお願いしたかった」というものである。この本において元の作文には活字が適用されているのだが、ここを手書き文字ですることにより、実際の作文を目の前にしている味付けができるのだ。デジタルに置き換えた記号ではなしに、アナログ的な情報として、手書きの原稿用紙がどういじられていくのか、見るほうがためになるのだ。
 小学生のためなどと言いながら、その辺りのプレゼンに悩むビジネスパーソンたちも、この本をお読みになるがいいとさえ私は思う。自分の考えを人に伝えるためにどういう表現をとればよいのか、その文章部分について、ここで的確なアドバイスを得ることができるのである。大人の方々、このマニュアルに従って、言いたいことを書いてみませんか。




Takapan
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