本

『サキの忘れ物

ホンとの本

『サキの忘れ物
津村記久子
新潮社
\1400+
2020.6.

 芥川賞など多くの文学賞を受けた作家の、脂ののった中で綴られた短編集。この数年の作品が集められている。
 帯には「たやすくない日々に宿る僥倖のような、まなざしあたたかな短編集」と宣伝されている。また「人生は、ほんとうにちいさなことで動きだす」という言葉も見える。まさにこの辺りに惹かれた訳だが、短編という読みやすさに加えて、その世界の日常性が、なんとも心地よい風を呼び起こしてくれた。
 タイトルにもなった「サキの忘れ物」が冒頭にあるが、喫茶店でアルバイトをしている主人公の女性の描写にハッとさせられた。本をめったに読まないというのだ。作家たるもの、本が好きだろうし、多く読んでいることだろう。となると、本を読む人の気持ちは十二分に分かるはずで、本が好きな人物像が物語に出て来るというのは、肯ける。また、その描写もリアルである。しかし、本が嫌いで読めないというような人物は、作家自身とは凡そ相容れないような存在ではあるまいか。そのような人物の目で、本を読む人を見つめ、その客が忘れていったサキの本に触れ、めったに読まない本というものを読んでみようと思う心が芽生えるという、非常にナイーブな心理がここに描かれている。どうリアルにそれを私たちにもたらすことができるのか、難しかったのではあるまいか。
 大きな事件が起こるわけではない。だが、比較的長いこの作品は、女性がある人との出会いにより、さりげなく変えられていく一面を、さわやかに見せてくれた。とても心地よい感覚がもたらされるというのは、魅力だ。
 その次の「王国」が、私はお気に入りだ。ネタバレをここに記してはいけないのだが、最初の一文から面白くて仕方がなかった。「口を開けて光を見つめていると、ラッパムシのデリラが現れることにソノミが気付いたのは、幼稚園のお昼寝の時間に少しも眠れないで、ずっとカーテンの隙間から漏れる光を眺めていた時のことだった。」これである。もう何がなんだか分からない。だが、もちろんそれが何であるのか、間もなく分かる。そして、自分の中に体験する出来事がリアルに再現され、男が理想とするような女性像とは違う、幼稚園児とは思えない「ばっちさ」を伴いながら、この世界を自分の肉体を通して体験されていく様が襲ってくる。これはもう快感であった。これだけのものを幼稚園児の感覚を通して、だがとても幼稚園児には綴れない言葉によって表現するのだから、そのアンバランスさも重なって、たまらなく面白いのである。
 昔の友だちとの思い出が「S」という記述による自分の日記の中から再現され、最後にびっくりするような展開によりいまの自分の進む一歩への力とする逞しさを伝えたような「Sさんの再訪」も印象的だったし、ともかく「あれ」としか呼ばない何ものかを巡って、およそありえない行列ができてそこに並ぶ中で、あるあるを含めつつも、いやありえないだろうと笑い飛ばすような、かつリアルな出来事が綴られていく「行列」は、もしかしたらこの作家のワールドなのだろうか。その時空に、読者を鮮やかに誘拐していく手法が、妬ましいくらい面白い。十分に楽しませてもらった。
 ゲームブック形式で実験的につくられたのかもしれない、「真夜中をさまようゲームブック」は斬新だったが、最後を飾る「隣のビル」は、まさかと思うような事態にも、会社勤めをする女性に起こるリアルな雰囲気を十分に味わわせてくれる、日常の、だがお伽噺として、楽しませてもらえた。これもまた、Sさんの話のように、力強い歩み出しが最後に見出される。女性が、腑に落ちない事態の中で、逞しく未来に向けて進み始める、その力を読者にプレゼントしてくれるという営みがあることで、人気があるということなのだろうか。いや、それだけではない。この惹きこみ方が半端ないのである。
 女性へのエールではあると思うが、男性も、励まされる、と言ったらいけないだろうか。私はとても心地よかった。小説はかくあるべし、と思わされるような本と出会えたことは、非常に喜ばしい経験となった。




Takapan
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