本

『斎藤孝の教え力』

ホンとの本

『斎藤孝の教え力』
斎藤孝
宝島社
\1200+
2004.4.

 著者については説明はよそう。その名を知らぬ人はない――と思ったが、肝腎の中学生が誰も知らない。高校入試にも引っ張りだこの人であるし、メディアへの露出も甚だしいのに、である。
 それはともかく、本書は大胆に「教え力」というタイトルが表紙を飾る。一時、「◯◯力」という言葉がある本から流行、なんでもかんでもそう付けて売り出す本が続出した。それを真似したとしたらあまり趣味がよくないが、内容は悪くない。  教師として教えるというのは当たり前だが、それに限らないものであることを伝えるために、タイトルに「家庭・職場・学校…すべての通じる!」という文字も見える。それは看板通りであったと思う。帯には、「斎藤孝が20年間考え続けた「教える法則」を今、伝えよう」と書かれているが、何年間かは私は知らないけれども、思いつきだけで書いたような本ではないことも、よく分かる。
 著者はそもそも、教育者なのだ。
 私も、曲がりなりにも、子どもたちにものを教えることを生業としている。だから、ここで言われていることは、十分よく分かるし、実際私もまたずっとやってきている、ということも少なくない。しかし会社の部下に教えるというシチュエーションは少し違うから、露骨にダメなところを指摘することは、子どもに向けてすべきでない場合もある。しかしそのように、シチュエーションによって使い分けなければならない点も、本書は十分に配慮しているから、誤解する心配はあまりないように思う。
 実は本書自身が、なかなか凄いことをやっている。「教える」にはどうすればよいか、それを「教える」のがこの本なのだ。この本が説明していることが伝わらなかったとして、この本が教えることができなかったことになる。そうなると、この本に書いてある「教える」ということへの信頼性が失せてしまう。従って、この本を読んだ人には、「教える」ということのコツやエッセンスが、どうしても適切に伝わり、「教える」ことに成功しなければならないのだ。
 著者自身、このパラドキシカルな構造に、特に気づいて綴ったところはなかったように思う。だが、著者は最後に、この「教える」本が何を最も大切なものとして目指しているか、ということを明らかにしている。それは、本書が「教える」ことのできる人を育てるものでいありたい、ということだ。また、読者が本書に刺激を受けて実践したとして、そこで教えた相手が、また誰かに教えることができるような人を育ててくれたらうれしいのだ、というような気持ちが吐露されている。これは、私の言ったパラドキシカルな構造を、楽天的に未来へ止揚しているような捉え方であるかもしれない。
 教えることで、文化や文明は伝達できる。それまでの成果が伝えられる。それを発展と読んでよければ、発展でもよいだろう。
 また、今回ここではあまり強調されていないが、実は「教える」ことで、その教える側の人間が「教えられる」のは事実である。コロナ禍で萎んでしまったが、その直前にやけに賑やかに始まった「アクティブ・ラーニング」には、正にその点、つまり互いに教え合うことによって理解を深める、という効果を狙う点が確かにあった。
 さて、ここまで、本書で著者がアドバイスしている「教え力」については、私は少しも触れていない。それをばらしてしまってはいけない、という倫理観があるからだ。ただ、それでは宣伝にもならないから、章の要点だけを挙げると、「教えるということ」「憧れる力」「評価力」「テキスト力」「ライブ能力」そして「育てる力」となっている。本書が「教える」ことに失敗してはならないので、それはそれは懇切丁寧に書かれている。文章の分かりやすさの点で定評のある人であるからなおさらだが、言わんとしていることはよく伝わるのではないだろうか。但し、自身教えることが嫌いだとか、教えたことがないとかいう人に、どのように伝わるか、までは分からない。
 章毎にQ&Aコーナーがあり、実際に寄せられたことのある悩みであるのだろう、現実味を帯びた質問が多く取り上げられ、返答するようになっている。本筋の流れとは異なるコーナーであるが、一息つくと共に、ふとした光が射し込む場になるかもしれないと思う。
 ただ、「背中を見て育つ」ということは信用を置くな、と断言している。自ら学ぼうと強く願い、なんとか業を盗もうと狙う、というような若い世代ではなくなっているというのだ。打たれ弱いということは、この2004年当時には、その後ほどは強調されていなかった世の中ではないかと思うが、さすが教育畑の人である、ちゃんと見抜いている。これは塾も助長しているのだが、教えられることに慣れ、自ら探究するということが性となっていないのが子どもたちであり若者である。ごく一部、道を外れて自分の好んだことに邁進してとんでもないようなことをしてくれる子が現れはするものの、大多数はおとなしく、教えられることを待つばかりである。そういう若い世代に対しては、半世紀前の常識はもはや通用しない。そうした点も、本書は時折注意を喚起している。
 親が子に教える、ということについては、あまり想定されていないようだ。他人に教えるのであれば、一定のコミュニケーションが必要だ、というようなアドバイスはできるが、親子の場合は、どうしても感情がそこに入ってしまう。感情の占める座が大きすぎる。これはまた、別のフィールドが必要なようである。「家庭」という宣伝が帯にはあったが、家庭における教育については、また別の専門的な視点から学ぶほうがよいかもしれない。
 全体的に、実例や経験が随所に置かれ、具体的に知ることができるように記されているし、重要な命題はゴシック体で太くなっているという、とても親切な措置が取られている。一読してなんとなく分かったような気がするかもしれないが、読み終わって改めてもう一度最初から辿り、その太字のところを特に読み返すとよいのではないかと思う。
 私が読んだのは、書かれてから20年を経てからのことだったが、決して古びた感じはしなかった。いまからでも、どなたでも、手に取って損はないのではないかと思う。




Takapan
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