本

『博多・福岡と西海道』

ホンとの本

『博多・福岡と西海道』
丸山雍成・長洋一編
吉川弘文館
\2,500
2004.2

 
 街道の日本史シリーズの48巻。郷土を見直すに実に相応しい本だった。
 道という視点から歴史を見直すわけであるが、何もすべての記述が道にこだわっているわけではない。道は、人が通るもの。人が通るということは、人生がそこにあるということ。実は道を想起するだけで、人の歴史を十分描くことができるものだという感慨をもつものである。
 ことさらに知識をひけらかすわけでもなく、淡々と歴史が記述される。それは、時に歴史マニアでなければピンとこないものもあるだろう。私のように歴史の知識に欠ける者にしてみれば、地名や人名の羅列を退屈に思うこともしばしばある。だが、郷土の歴史ならまだ耐えられる。なぜなら、その地名を直に知っているからだ。
 度々思った。「ああ、だからあんな名前なんだ」「あの場所とこの場所は同じときに同じ理由で名前が付いたのだ」などと気づかされる。
 廃藩置県の際は福岡は優等生扱いであったことも知った。全国の廃藩に先駆けて廃藩が行われたからだという。また、西南戦争の舞台に福岡も絡んでいることも、この本でこっそりと語られる。
 興味深いのはまた、邪馬台国の記述である。この本を読む限り、邪馬台国そのものは九州に違いないという気になってくる。ただしそのイメージは、日本全土を支配する朝廷としての国ではなく、地方の小国の代表として担ぎ出されたに過ぎないような卑弥呼のいる集落という感じが、しないでもない。この福岡には、間違いなく古代にひとかどの文化をもつ小国が並び存していたのである。それは今の地名にも残る響きを多くもち、私の住まいの裏のところを流れる川もまた、その歴史に一役買っていることを知る。
 また、福岡藩にしろ久留米藩にしろ、キリシタンに関連のある土地であることも、なんだか切ない気がする。大刀洗の今村の隠れキリシタンは、もっと有名になってもらいたいと思う。
 いずれにせよ、郷土を誇らしく思うには、その歴史を美化せずに捉えることが一番である。歴史を誇大視することを強要する政治や運動は、一件国を愛しているようでありながら、実は正反対のことをしているに過ぎない。




Takapan
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