本

『やがて君になる 佐伯沙弥香について(2)』

ホンとの本

『やがて君になる 佐伯沙弥香について(2)』
入間人間
仲谷鳰原著・イラスト
KADOKAWA電撃文庫
\570+
2019.5.

 コミックス「やがて君になる」はTVアニメとして好評を博し、やかて舞台でも上演された。いわゆる百合作品であるが、男女を問わずファンが多い。他の作家によるアンソロジーはもちろんのこと、サブキャラクターとしての佐伯沙弥香の視点から物語の背後を描くという、異色のスピンオフまで登場し、さらにそのスピンオフが続刊としてここに第2巻まで登場した。これは、おそらく舞台上演期に併せて発行することにしたのだと思う。全く同時期なのであるから。
 肝腎の「やがて君になる」のほうをまた一から説明することは遠慮させて戴く。すでにこの佐伯沙弥香についての最初の本をご紹介しているので、そこで少しは触れている。今回沙弥香が、コミックス本編で決定的な変化を遂げ、物語を大きく動かす決定打を放ったことの背景から、本書は始まる。そして、七海燈子と親友のように近づいていく過程を丁寧に描く。この過程だけは、確かにコミックスでもアニメでも描かれていない。そこまで描けないというのが実情なのであるが、その隙間をこの小説において埋めようということであるのだろう。逆に言えば、こういうところしか、埋める余地がないのである。
 コミックスのノベライズという形ではあるが、本編にはないエピソードを、それも作者でない人が書く、それは勇気のいることであろう。しかもこの作品にどっぷり浸かりっぱなしのファンというわけでなく、職業的な人ですから、よほどコミックスを読みこなし、没頭しなければ、そしてその陰に隠れた意味合いやニュアンスを嗅ぎだして描かないと、こだわりのファンの支持を受けることはできない。商売目的のにわかファンを簡単に見抜いてしまうからである。しかし巧いというか、やはりそれなりの愛情を注いで浸っているというのか、このノベライズは成功していると見られる。元来のファンの評判もいい。また、それだけ原作の随所から得られる情報を駆使して描いている。
 ライトノベルには違いない。もはや改行という概念が成り立たないほどに、一文ずつで一つの段落を形作る勢いであるから、非常に読みやすい。というか、否が応でもどんどん頁がめくれていってしまう。昔(と言っても失礼か)ベストセラー作家が、「あ……」「……」「で……」といったふうに行数を稼ぎ、原稿用紙何枚で幾らという原稿料を著しく有利に得、長者番付に毎度名を連ねていたということがあったが、それもまた読者にしてみればどんどん読み進めることができるという点で満足感を得られたというのがあるかもしれない。
 本書でも、1行で次の段落というのは普通だし、長くて一段落は3行までしか殆ど見当たらない。これは文字数稼ぎの要素もあるかもしれないが、それより、コミックス感覚なのではないかという気がする。確かにここには画はない。正確に言うとコミックス作者の挿絵が数点挟まれているが、まあ殆どないと言っても差し支えない。だが、この読み手の中にコミックスを読んでいない人はいないと思われる。それは著者もあとがきでそのように書いているが、確かにそうだろう。そうなると、これらの文字の背後に、コミックスの可愛い画がきっと頭に浮かぶものであるし、この場面での表情はこんなだと想像しながら、また凝った場合にはコマ割りまで想定しながら文字を追っていると考えられる。そうなると、実際コミックスにあるような言葉の並べ方がその効果をもたらすと言えるし、短いフレーズが重ねられるようでないと、心に思い描く画が現れないものであろう。理屈できちんと考えているのかどうかは知れないが、その効果は確かにあるものだと思う。
 くれぐれも、この物語の主人公はダブルキャストであって、七海燈子と小糸侑である。しかし、ポリフォニーとでも言うのか、それぞれのキャラクターがそれぞれに自分というものをもち、それぞれの立場でそれぞれの役割を果たしている。それぞれの心理が実に巧みに描かれており、一つひとつの言葉が奥深い。私などは、その一言ひとことを聖書のことばを解釈するように解釈しているほどである。週連載に追われず、月刊誌に連載するというスローペースが、作者にそのことを可能にしている。四年も連載していて、最初の設定からブレないどころか、最初の小さな言葉がここへきて生きるなど、実に緻密に言葉が検討されている。それがあるから私は好きになった。心打たれた。
 佐伯沙弥香は、この二人と一種の三角関係をつくる、仇役である。作品中の劇中劇では燈子の恋人を演じたが、人の心に踏み込むことをためらっている間に燈子の心を失い、踏み込んだことがきっかけでむしろ燈子ははっきりと侑へ真摯に向かう自分を見出した。お金持ちのお嬢さんたる沙弥香に具わるプライドがどこかそのように仕向けたという要素があるかもしれないが、作品中では中学時代に女の先輩に言い寄らせ関係をもつことが契機となって高校で燈子と出会ってまた恋が芽生えるということだけであったが、このノベライズの第1巻で、それ以前に小学生のときに体験があったのだという衝撃の過去が創作されていた。いずれにしてもどこか不幸な歩みを強いられている面がある。それだけに、この沙弥香に対して根強いファンも多い。それだけ魅力あるキャラクターであることは確かである。沙弥香がいてよかった、と燈子は言う。それは読者にとっても全く同様である。
 女性同士の恋愛ものは、何かしら異常なものとして嫌う人が多いかもしれない。他方、変に興味本位で覗いてみたいという人がいるかもしれない。しかし、男女の恋愛にはどうしても肉体的な目的が関与せざるをえないものだが、こちらでは、それが目的とはされない。純粋に、と言ってよいかどうか知れないが、とにかく心で人を好きになるというのはどういうことなのか、それが正面から問われる場となりうるものである。いったい、人を好きになる、それは何なのか。私たちは、もっとこれを問うてよいように思う。
 さて、驚くなかれ、このスピンオフのような「佐伯沙弥香について」は、第3巻まで発刊が決定している。それはもしかすると、TVアニメの第2期・完結編に重ねてもたらされるのであろうか。楽しみは尽きない。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります