本

『やがて君になる 佐伯沙弥香について』

ホンとの本

『やがて君になる 佐伯沙弥香について』
入間人間
KADOKAWA電撃文庫
\550+
2018.11.

「やがて君になる」は、2015年から雑誌に連載された漫画で、2018年にテレビアニメ化された作品である。いわゆる百合漫画と呼ばれるジャンルであるが、その心理描写は深く、性的描写もソフトな部類に入ると見られる。とにかく、セリフの一つひとつ、視線ひとつに、人物の心理とその動きが限りなく秘められており、ファンの間では、アニメの時に、一話終わるごとに分析を競い合う現象が見られた。
 佐伯沙弥香というのは、その物語のキャラクターである。といっても、主人公ではない。主人公は七海燈子、ほぼ主人公でそれをアシストするのが小糸侑。ダブルキャストと言ってもいい。佐伯沙弥香は、この二人の間に入ろうとする位置に立つ、第三の人物である。その辺りを詳しく説明すると、それだけで何時間もかかるかもしれない。ただ、沙弥香はいま高校で燈子を好きでいること、そしてこちらも同性志向であること、このことは押さえておくと理解しやすいかと思う。
 少しきついキャラのようでもあるが、繊細で自分の気持ちを言い出せない控え目なタイプとでも言っておこうか。このキャラは、2人の主人公に比べると、物語の中心にいるとは言えないのだが、魅力的なキャラであり、佐伯沙弥香あってこそのこの物語だと言うこともできるほどである。この沙弥香の人物像はどのようにしてできてきたのか、主人公たちではないがファンの間では非常に興味をそそるところである。
 燈子の過去は物語の主軸である。侑の過去は実は遡らない。侑の個性は、案外謎とされたままである。沙弥香は物語の中で、重要な過去にまつわる話が出てきて、そのために周囲の人との関係の組み立て方が変わってきたことが分かるのであるが、その沙弥香の人物像を確立するために、沙弥香の過去の出来事をノベライズしたもの、それが本書である。
 小学生のときに、女の子に惚れられる。水泳教室で出会った女の子であるが、その子との心理的なやりとりがまず長く描かれる。「女の子」としか表現せず、名前を出さないところにも、メッセージ性がこめられていると言えようが、その後私立の中学に入った後、合唱部の先輩に告白されてつきあう、というところは、「やがて君になる」の本編での出来事に直接に関係するようになる逸話である。但し、その背景を細かく設定し、描ききっているため、沙弥香ファンならずとも、気になるところであるし、なるほどと合点がいく説明がぎっしりと詰まっている。
 この本が、書店で殆ど見ることがない。出ればファンが買い漁ってしまうのだ。ネットで注文しようとしても、入荷までまだ待てという知らせ。新刊の文庫なのにこれほどに欠品していくものも珍しい。ファン待望のノベライズということになろうか。
 これはコミックスの作者とは別人である。しかし、良い作品にしたいというスタッフや関係者の熱意が影響してか、実によく練られた内容となっており、またコミックスの作者も安心して任せられたといい、適切な話し合いも行われたかと思うが、なんとも切ない、そして「やがて君になる」に入るまでの様子が手に取るように分かる解説となっている。そう、本書のラストシーンあたりは、「やがて君になる」の最初へと続く重要な物語なのである。
 しかし、ファンの間では、まだ本編との間に埋まらないものがあるという。それは、本編は燈子と沙弥香が高校二年生に進級したところから始まるのであるが、2人が高校一年生の時代のことが、完全に欠けているからである。そのため、その後関係者は、佐伯沙弥香についての第二弾の制作が決定したという発表をすることになる。
 魅力的なキャラクターができれば、物語は動くと言われる。本編はその上で巧みな設定と台詞と視線あるいは背景描写などにより、心理の機微を描くことに成功している。一人ひとりがリアルに伝わってくるし、感じられてくるのである。主人公でなく沙弥香の過去を説明する、という本書の位置は、企画としてもなかなかのファインプレイではなかっただろうか。もちろん、続編も期待するものである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります