本

『悲しい本』

ホンとの本

『悲しい本』
マイケル・ローゼン作
クェンティン・ブレイク絵
谷川俊太郎訳
あかね書房
\1470
2004.12

 絵本である。が、もはや絵本ではない。
 まず「私」が笑っている。「これは悲しんでいる私だ」と説明してある。幸せなふりをしているだけなのだという。
 絵が暗くなる。「からだじゅうが、悲しい」という。息子のエディーが死んだのだと告白する。
 エディーの思い出にも触れないことはない。だが、中核を占めるのは、「私」の悲しみだ。とことん、悲しみについて語る。悲しいとは何なのか。どんなふうな行動にでるのか。あるいはまた、悲しみとは何で「ない」のか。
 これはどういう事態か。「いろいろなことが、前と同じではなくなったせいで / 私の心のどこかに、悲しみがすみついてしまったということなのだ。」
 どんなに明るいことを考えようとしても、悲しみは「やってきて、きみを見つける」ものだ。
 そうして「消えうせてしまいたい」感情に包まれながら、顔を上げると、世の中の景色が見えてくる。このとき初めて、エディの人生のひとつひとつが、迫ってくる。
 その後に、何があるのか。それは、読者に委ねられている。読者が自分で見つけなければならない。その悲しみは、「いたるところにある」もので、「時をえらばない」ものであり、「人をえらばない」のであるから。
 できるならば、こんな本は読みたくないと思うだろう。だが、読んでみると、必ずしもその思いが正しいものではなかったことに気づく。一種のカタルシスのように、自分の中にある悲しみが、ひとつの形としてそこに輝いているようにさえ、感じられてくることを経験するかもしれない。




Takapan
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