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『ルールはそもそもなんのためにあるのか』

ホンとの本

『ルールはそもそもなんのためにあるのか』
住吉雅美
筑摩プリマー新書440
\800+
2023.11.

 中高生に読んでほしいという狙いのシリーズで、私は高評価している。今回も読みやすい。大人にはちと読み易すぎるかもしれないが、それくらいでどんどん読めばよいと思う。考えるべきこと、別の視点というものを、誤解なく知ることができる。著者も、そのつもりで書いている。やややけっぱちな口調になるところは、まあご愛敬だとしておくけれど。
 さて、テーマは「ルール」。著者は法学、それも法哲学方面の人である。だから、社会的な視野で分かりやすく講演しているという感じだ。法哲学の研究が筋のようだから、哲学的な視点や考察というものを踏まえているだろうが、あまり抽象的な話にはならない。それが目的に適っているだろうと思う。
 その「はじめに」にあるように、2020年からのコロナ禍における、政府の「要請」や「自粛」ということが、どうしてルールとして通用するのか、そこから読者を誘う。このときハッとさせられたことがある。「1000字前後でレポートを書いてください」との指示に、どうでもいいようなきっちりした質問をどんどん寄せてくる、というのだ。これは最近私が思い当たった。推薦入試のための志願理由書で、実に細かく、これこれを書いてよいか、この表現でよいか、と単語単位で質問してくるのだ。そんなこと、全体を見なければ良いも悪いも分かるはずがない。だが、特定の単語を使ってよいかという点をクリアすれば、自分は書ける、と思っているのだ。そして試作を見せてくれたが、文章全体がまるでなっていなかった。
 そこにも、確かにルールというものに対する視界というものが影響していた。本書は、法律というもののあり方を問う場面もあるが、概して、私たちが暗黙の前提のようにルールだとしているものに関して、明確に意識してみようという試みのようであった。
 タイトルに「そもそも」とあるからには、そもそもどうしてルールというものがあるのか、という問いは外せない。それは社会の動きのためでもあるし、弱者を助けるためでもあるだろう。自分が生きるためにも必要だろうし、そのためには他人を犠牲にしてでも、という形の想定も考えなければなるまい。
 しかし、法律を市民がすべて暗記して、意識しながら生活しているわけではない。如何にしてそれは可能なのか。これについては答えを絞ることは難しいだろう。だが、法哲学の観点から、こうした問いは欠かせない。公平性や普遍性を求めることが登場すると、やはりカントが登場するのは、当たり前かもしれないけれど、カントのようなある意味で古典的な思想も、やはり法にしても根本的に問うためには、重要なポストにあるのだということを知った。例の、虚言を認めない精神も、本書で分かりやすく紹介されていた。しかし、それを是か非かという話で片付けず、考えるべき糸口として確かに押さえておくとするのは、適切であろうと思う。
 スポーツのルールについても触れると、中高生ならずとも、親しみやすいことだろう。世間には、誰もが評論家になり、スポーツチームのコーチやオーナーにでもなったような口を利いている者がわんさかいるが、言ってせいせいするというくらいならともかく、ネットで偉そうなデマを流すと、それこそ法に触れることになることを、本書はとくに警告はしていなかった。その他、時代や文化によりルールが変わるということの認識も促し、刑罰や報復という考えについても、少しずつ考えるための礎を与える。
 しかし、私もよく話題に出すことが、かなりのスペースを用いて議論されていたのは、個人的にたいそう面白かった。一つは、エスカレーターを歩いてはならない、というルールである。50年前に片側を空けようという呼びかけで始まった習慣としてのルールが、実は危険を伴うものだという声により、反転したのである。どうしてこの新しいルールが守れないのか。東京で勤めている著者だから、これは東京の様子なのだろう。福岡でも歩く人は少なくない。いくらかは、歩いてはいけない、と自覚した人もいるのだが、誰かが歩き始めると、自分が始めたのではないから、という言い訳が背中に書いてある人が、後に続いていく。私はそこに、他人の動きを見て自分の責任が軽減されることで、大勢に安易にして勝手ゆく、社会における恐ろしい歴史と未来を見ていた。本書の著者は、その点は特に言わない。しかし、赤の他人がいる環境や、ルールを変更しないほうがいいと思う心理など、法哲学的に面白い説明があったのが面白いと思った。男性の小用の仕方についても、その背景から説明されていて、これはやはり親しみやすいこと、この上ないものだった。
 最後に、マスクのルールについても論じていた。もちろんマスク警察というものも取り上げるが、特に、外した側がマスクをしている人を無根拠に揶揄したり攻撃したりすることに、大きな問題を見いだしていた。確かにその通りだろう。マスクを外すのが絶対の正義になり、独善化してゆくのである。題材はマスクであるが、これはマスクだけの問題ではない。国民性なのか社会性なのか知らないが、人間の思い込みや自己中心性など、さらに踏み込んでゆくことのできるフィールドがあるだろうと思う。
 本当の最後には、民主主義なるものへの問いかけもあった。多数決が民主主義だ、という思い込みが如何に危険であるか、人間性を欠いたものであるか、私たちは知るべきなのである。民主主義というものが絶対的な価値を有するものではない。比較的良いものであろうとは言えるが、それが偶像になってよいような性格のものではないのだ。
 ネタバレをしてしまうようで恐縮なのだが、著者自身は、「ルールとは、人為的に作るものではなく、人々の日常生活での営みから自然に生じて、皆に利益を与えるがゆえに喜んで受け入れられ続けられるものがもっともよい」という本音を明らかにしている。
 だが、ルールの裏をかくようなことが出てくると、それを規制する法を作らねばならない。そしてまたそのルールに抜け道があれば、それを防ぐための法を作る。こうして、法というものは、つぎあてだらけの服のようになり、何をどうしてよいか収拾がつかなくなってくる。これが現実である。しかしそれがいま、SNSでの「炎上」という形で、アナーキズムに陥っているかもしれない。本書を契機に、若い人たちの意見も出てきたらいいと思う。しかし、独善を貫き相手を論破することがカッコいいかのように見せる者がいたとしたら、それはむしろ害悪となることだろう。そういうものを適切に批判する眼差しを、若い人たちが育むことができたらよい、と願っている。




Takapan
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