本

『聾の経験』

ホンとの本

『聾の経験』
ハーラン・レイン編
石村多門訳
東京電機大学出版局
\3100+
2000.10.

 日本では江戸中期にあたるだろうか、フランスでそのころ、世界初のろう学校が始まっている。フランスの手話はその後、アメリカ人に受け継がれ、アメリカ手話とフランス手話とのつながりが深いことは有名である。
 ろう者の歴史は、このように浅い。それは歴史の中に描かれることすらなかった。いまでこそ手話は知られるようになったし、かっこいいという人も現れたが、かつては日本では「手まね」と呼ばれ蔑まされていた。言語であるという認識は、ようやくいま始まろうとしている段階に過ぎない。その中で、ド・レペ神父がろう学校を創立し、またフランス語を手話で表現できるように労苦した中、そしてベルティエというろう者の秀才の青年が現れることで、ろう者の立場やその置かれた立場などを世に提供することができるようになった。本書には、こうしたろう者についてのフランスの18世紀から19世紀にかけての論文が7編集められている。貴重な文書であると思うし、こうした地味な本がもっと日の目を浴びることになってほしいと願うばかりである。
 しかし、こうしてようやく手話が客観的に成立しかけた後、世界は再びろう者を虐げ始める。いわゆる口話教育である。それは、かつて幽閉されていたようなろう者は社会に出なければならない、という、聴者のある種の好意の、とんでもない圧迫であった。この社会で共に生活するためには、この社会の言語を操らなければならない。だから、声が聞こえなくても、人の話す口の形を読み取って、分かるようにしていかなければならない、そのためには、手話など仲間内の伝達方法などをやっていてはならない、手話は禁止で、すべて口話にせよ、というのである。欧米に生まれたこの声は、日本をも席巻する。かくして、手話という、せっかくろう者の中で自由に表現できるようになった手段を、弾圧したことになってしまうのだ。
 グラハム・ベル。電話を発明した人として知られる。だが、本書によると、ベルが電話を発明したのは、別に熱心にやっていたことの副産物のようなものであるという。親と妻がろう者であったベルは、聴覚に関する機器を研究しているうちに、電話機を作ってしまったのだ。結果的にベルは手話を使うことを否定する立場で社会に強い影響を与えることとなった。また、ろう者がこれ以上増えないように、ろう者の結婚はやめさせるようにという意見を記している。そうした論文が、七つの論文とは別に、附録としてここに掲載されている。このような優生学的な考えは、後にナチスにも影響を与えているとも言われる。ただし、ベルのろう教育への関心は深く、それがよけいにお節介になったようなところもあるのだが、あのヘレン・ケラーにサリヴァン先生を紹介したのも、このベルである。
 現代的視点からまとめたものは、私たちにとり分かりやすい説明となる。だが、実のところどうなのか、当時の人の地平に立ち、ゆっくりと見回した上で、その当時の言葉での説明に耳を傾けないと分からないものであろう。私たちとは時も場所も異なる中で、考え方の枠組みもまったく違うところにおいて、ろう教育や手話が語られるというのは、どこかで一度味わいたい経験である。タイトルは「聾の経験」となっているが、もしかすると私たち聴者が、精一杯の想像力で以て、聾を経験する必要があるということを教えてくれているのかもしれない。もちろんろう者が経験してきたものはどのようなものであったか、を認識することは大切なのだが、ろうの文化がどのような背景を有しているのか、私たちは無関心でいるわけにはゆかない。
 本書は「ろう文化宣言」という文書に端を発して生まれたという。現代日本において、それを宣言して、四半世紀を迎えようとする中で、ようやくその中の何かが始まりかけているのかもしれない、とは思う。世間の偏見や思い込みはまだ深いが、ろうをたんに障害として片づけないで、そこにある豊かな実りを聴者も分かち合えるような社会が実現することを、心から願っている。




Takapan
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