本

『朗読者』

ホンとの本

『朗読者』
ベルンハルト・シュリンク
松永美穂訳
新潮文庫
\514+
2003.6.

 加藤常昭先生の名前ばかりをよく出すが、その説教にしろ何かの本にしろ、そこに別の優れた本のことが、よく登場するためである。本の紹介をする。この小説もそうだが、内容についてかなり突っ込んだ形で明らかにしてしまう。もしかすると、小説の粗筋を聞くと、それでもうだいたい分かったという気持ちになり、もうそれは自分は読まなくていいや、という気持ちになるかもしれない。だから私は小説の粗筋を書いて紹介することは、極力避けるようにしている。だが、加藤先生が紹介すると、むしろそれを直に読みたくなってくるから不思議である。
 この作品もそうであった。多分に、いいところは紹介されてしまっている。それを紹介しなければ、説教で取り上げる理由にならないからだ。だが、私は猛然と読みたくなった。
 話し手は、ミヒャエルという男性。その独り語りで、文庫にして250頁足らずの文章を最後まで突っ走る。最初は15歳のとき。黄疸にかかり、何か月かかけて治癒したというが、その発端の事件から描写が始まる。学校からの帰りに、道で吐いてしまったのだ。
 それを見た一人の女性が、ぼくを助けてくれる。この最初の2頁で、本書に必要な設定はすっかりできてしまう。女性は21歳年上だったが、この後、この女性の一生をぼくは見届けることになるのだ。
 訳者の腕なのか、原文がそうなのか、私は知らないのだが、実に軽快で読みやすい文が続く。途中で気づいた。一文が短いのだ。極力修飾や付け足しがなされず、できるだけ単文で、小刻みに事態が展開してゆく。日本語は主語と述語が離れるのが普通なので、西欧語をそのまま翻訳すると、いったい結果どうなったのだ、ということを保留されたまま叙述が続くことになる。この緊張感は、日本語を母語とする者は意識すらしないかもしれないが、実はけっこうエネルギーを消費する。それで、長時間その調子で読み続けていると、思いのほか疲れてしまうのだ。ところが本書は、そのエネルギーを殆ど使わずに済む。この積み重ねは大きいと思う。引き込まれるようにして、読んでゆくことができるのだ。
 しかも、数字が宛てられた一つひとつの場面は、数頁単位で切り替わってゆくので、歯切れ良く読んでゆくことができる。全体は3部に分かれている。最初は、そのハンナという女との出会いと彼女の失踪まで。次は、法学を学ぶに至ったミヒャエルが、ゼミのために傍聴した裁判の席でハンナと再開し、その判決が出るまでを描く。ハンナは、ナチスの親衛隊として、ある教会に何百人もの囚人を閉じ込めておいたが、爆撃火災のときに彼女たちを助けず焼死させたというのである。
 最終部は、収監されたハンナとミヒャエルとの関わりを描く。ここでの時間の過ぎ去り方は半端なく早い。1行で数年経過するのも何度かある。ミヒャエルは離婚後、再び牢内のハンナと関わりをもつようになるのだ。
 さて、本作は、本来法律学の教授であったシュリンクが余技で書いたものだったが、これが1995年、大ヒットしてしまった。5年のうちに20以上の言語に翻訳され、アメリカではミリオンセラーになったという。かの『ブリキの太鼓』以来の世界的栄誉を受けたドイツ文学であるというから、驚きである。
 タイトルの「朗読者」は、原題そのものと言ってよいものである。ここまでその朗読の意味についてはお知らせしていなかったが、これをあまり説明してしまうことは遠慮したいと思う。ミヒャエルは頭の良い生徒であり学生である。文芸作品の話題をハンナにすると、ハンナはそれに興味をもち、どうか毎回来るたびにそれを目の前で読んでくれ、と頼む。そして二人の間に、それが習慣となってゆく。どうして朗読を願ったのか。これが物語のポイントになるので、明かすことはしないが、タイトルの「朗読者」となったミヒャエルの姿が、いまも頭に浮かんでくる。
 最終部でも、すっかり大人になったミヒャエルが、朗読したテープを、刑務所のハンナのもとに送り続ける。そういう関わり方をするのである。そしてハンナも、それを受け容れていたことが、最後に分かるというものだった。
 ナチスの罪という問題を、実際そのような裁判があったということを背景に描いている。著者は法律学の教授であった。その辺りのバックボーンはしっかりしている。しかし、これはナチス批判であるとか、戦争反対の思想を盛り込んでいるとか、そのように言うことは難しいと思われる。だからまた、どうしてナチスの一員を肯定するような描き方をしているのか、と作品に対して非難を寄せられることもあったという。だが、これは反戦小説ではないし、戦後ドイツ文学だからナチスを糾弾しなければならない、という決まりはない。もちろん、ナチスを賛美しているのでもないから、よく読めば戦争犯罪について、ではおまえはどう考えるのだ、という問いかけがなされてくることを禁じ得ない。でも、繰り返すが、戦争を問う小説ではない。背後に流れつつも、それを問うものとしてしか読まないような姿勢とは一線を画するものだと思う。
 ただ、物語の最後で、少しばかり、戦争での出来事について、一つの解決めいた道が示される。何もそれこそが答えだ、というわけではないのであるが、小説が未来に対する、ひとつの光のようなものを教えてくれるような気はする。
 最後までわくわく、ドキドキして読んだ。やはり世界的に愛されただけのことはある。読みやすい翻訳を、ありがたく思う。そして、これを私に出会わせてくれた加藤常昭氏にも、感謝したい。




Takapan
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